働かないアリのおはなし

 ゴールデンウィークの前半、私は研究室にひきこもり昨年から取りかかっている研究を続けていました。ちょうど今春になってふと一つのアイデアを思いつき、文献を集めたり、何度も師匠の先生と議論したりしていたのですが、そのうちどんどん自分のアイデアが仮説として使えそうなことに気づき始め、どうしても考えを原稿にしておきたくて連休に時間が取れるのを楽しみにしていました。研究室で「オレってやっぱ天才かもなー」と一人で錯覚しながら鼻唄混じりで原稿を書いていたのですが、「いや、オレって間違いなく天才だぜ!」と確信を持ち始めた頃ようやく自分の作り上げた仮説が明らかに間違っていることに気づきました。これまで集めてきたデータもすべて無駄だったとわかり、怒りとむなしさをぶつける相手もおらずゴールデンウィーク真っ盛りの研究室で呆然としていました。
 研究者にとってこのような無駄をくやむことなど山ほどあるのは当然のことですし、むしろそれが仕事とも言えます。ただ、もともと「転んでもタダで起きたくない」ビジネスマンだった私にとっては、全くリターンのない徒労の時間を費やすことに対する許容度が 低く(そもそも性格的にも忍耐力が低いため)、人一倍大きな脱力感を味わいました。こんな性格では研究者など務まりません。自信と希望を失い、やることもなくネット上でウロ ウロとどうでもいいような情報を引きながらさらに無駄な時間を費やしていました。すると、どこをどう検索してきたのか一人の生物学者のサイトに出会いました。無駄な時間を費やしたついでにフラフラと一人梅田まで出て、本屋で自分の研究とは全く関係のないそ の生物学者長谷川英祐先生の『働かないアリに意義がある』という本を手にしたのです¹。
 連休後半は東京に戻り、家族とドライブがてら出かけた湘南の辻堂海岸に自宅から運んできたパラソルとチェアをセットして本を読み始めました。1 ページ目からいきなりのめり込んでしまい、湘南に吹く五月の爽やかな薫風など文字通りどこ吹く風で一気に読んでしまいました。途中むずかしい箇所もありましたが、長谷川先生のフレンドリーな文体はチェアから立ち上がろうとする私を「まーまー、もうちょっと先読んでみてよ」と押さえつけてくるかのようです。読み終えたときには不覚にも涙があふれそうになり、自宅に戻って再び 1 ページ目から読み返したのですが、もう一度涙があふれそうになりました。本や映画に対する感動はその時置かれた環境や感情に大きく揺さぶられ、バイアスがかかっていることは承知の上で、この本はゼミ生はもちろん大学で真面目に学問をしたいと考えている学生、研究者の卵に分野にかかわらず何としても読んでもらいたいと強く思います。
 地道な苦労を積み重ねて真実に迫ろうとする生物学者の壮絶な努力、アリやハチをモチーフにして語られる生き物の進化の謎、人間になぞらえるとユーモラスで物悲しくも身につまされる昆虫の世界の話等々、この本で得られた知識と感動と論点があまりにも多すぎ て、当コラムで安易に紹介することすら憚られます。ただ、言いたがりの私としては少しだけ標題の「働かないアリ」の話を自分にとっての復習を含めて紹介したいと思います。
 普段われわれが見慣れている光景は巣穴からエサを運ぶために行列を作っている働き者のアリですが、実際にはアリにはエサを運ぶ以外にもコロニーと呼ばれる巣の中の卵の世 話や巣のメンテナンスや拡張工事などわずかでも放置すると存続にかかわるような様々に 幅広い仕事があります。だからアリは働き者の象徴と思いきや、先生の研究によれば、巣の中にはボーッとして働かないアリが実は最大で 7 割くらいいて、しかも働かないアリが 適度にいるコロニーの方が存続する確率が高いということがわかっています。これは全てのアリが述べつ幕なく働くよりも予測不可能な環境の中では常に働き手の余力を持ってい ることがコロニーの維持生存には重要であり、しかもそうするための機能がアリの各個体 に遺伝子として組み込まれているということでした²。どのような仕組みになっているかと いう詳細は是非本書を読んでもらいたいのですが、これ以外にもうっかり者のアリがいることによってエサを運ぶ効率が高まる話や危険が迫るとすぐに逃げ出す兵隊アリの話、年寄りのアリほど危険な仕事を担当する齢間分業の話など一見して非合理的な現実が、自然 選択という生き物の進化の法則から見ると、実はいずれも合理的な生態として理解できるというストーリーが段階的に説明されています³。
 このストーリーだけで私は十分に満足だったのですが、私を圧倒したのは終章における著者の問題提起です。自然界は適者生存の原則の下、働かないアリのように非合理と思われる存在も実は理にかなっているのだという結論を予想していました。しかし、著者は、そもそも適者とは一体何に対して適応しているものなのか、また適応とは未来に対する適応だが、未来とはどの時点のことを言っているのか実際にはわからないではないかという のです。欠陥の無い美しい理論よりもなぜどのように生物が進化してきたかという現実を説明する価値観こそが生物学者にとって大切なことだと主張されます⁴。そして、科学者は世界中の人が間違っていると言ったことにも自分が正しいと思えば「こういう理由であなた方が間違っている」と主張しなければならない存在だと言っています。
 「科学は役に立つから重要なのです。しかし、役に立つことだけをやれば OK というわけではありません。(中略)科学に短期的な無駄を許さない、余力のない世界を作ってしまうとどうなるか。」と著者は投げかけます。動物の徹底した機能的自然選択のように「短期的な効率のみを追求する」のではく「無駄を見い出し、それを楽しみ、愛し続ける」ところが「ヒトという生物を人間たらしめている」という著者の言葉は、今の私の心に重くズ シリと響きました⁵。研究対象のアリとは裏腹に果てしなくスケールの大きな長谷川先生の 発想に私は圧倒され、自分が恥ずかしくなりました。紙幅の限界で著者の意図をどれだけ正確に伝えられたか不安ですが、間違いなくここ数年読んだ本の中で最も感動した本です。

¹ 『働かないアリに意義がある』長谷川英祐(2011年)メディアファクトリー新書
² 簡単に言えば、アリの遺伝子には働くことの必要性を感じる反応閾値というものが各個体に異なって設定されており、反応閾値の低い順に働き始めるということです。早く働き始めたアリはやがて疲れて休み始めますが、そうなると次の閾値を持つアリが働き始め、仕事量に応じて必要な働き手がコロニー全体の中で最適に維持されるそうです。本書はもっとわかりやすく説明されているので本文参照のこと。
³ 私の説明はあまりにも大雑把で、著者には申し訳なく感じます。必ず本文を読んでほしいと思います。
⁴ このことは宮川コラム「こうあるべきだはむなしい議論」で私自身も述べてきました。
⁵ このあたりは宮川コラム「1号館わきベンチの使用方法」に通じるところがありますね。

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