モデルとコーポレート・ファイナンスの関係

前回は文系と理系という分類が大学の学問において無意味であることをお話ししました。引き続いてこの観点から、我々の専門分野であるコーポレート・ファイナンスについて少し考えてみましょう。2 期生の中にはいきなり数式で説明されている基本書前半のゼミに辟易としている人もいるかもしれません。これらの数式のことをモデルと呼んでいま1これは一体なんなのか。コーポレート・ファイナンスは言わばミクロ経済学のアプローチ手法を 使って企業の行動を観察しようとしています。その経済学的手法に使われるのがモデルという道具なのですが、そこで経済学について少し話をします。

経済学というとおカネや数字にまつわる学問と思われがちですが、そうではありません。 経済学は一言で言うと人間の行動を科学することです。例えば、2期生12人が座るテーブルに私の好物である「虎屋のようかん」を置いたとしたら12人がどういう行動をとるかをじっと鍵穴から覗いているようなイメージです。その際にルールが二つあって、一つは掴み合いのケンカだけはやめてねというルールと、もう一つは12人の行動には何らかの意図があると仮定することです。少し一般的に言うと経済学の登場人物は家計、企業、政府とされています。この人たち(というか組織)が、どのような意図でモノゴトを選択して社会の資源を使用するかを探求するのが経済学です。その中で、個人の行動(ときに家計と企業)に焦点を当てて見ようとするのがミクロ経済学で、国単位に焦点を当てようとするのがマクロ経済学です。個人や企業など世の中に存在する無数の人々が意思決定した結果や政府の決定が経済全体の動きに影響を与えるため、二つの異なるアプローチから世の中の現象を観察しようというわけです。

私が黙ってみていると2期生12人が虎屋2のようかんをどのように分けるのか、その結果と結果が起きた原因を見つけてそこに何らかの法則性を見出したいと考えるのが経済学です。そこで、昨年末に行った科学的思考論が役立ちます。科学的分析とは何度も言うように実際に起きている現象を正しく捉え、現象が起きた原因と結果(因果関係)を特定し、 正しく結び付け、その結びつきの正しさを客観的に検証することです。そこから何らかの 法則を発見して一般化することができれば様々なことに応用が効きます。2 期生とようかんの法則性が明らかになれば1期生のテーブルにようかんを持って行ってもだいたい何が起こるか予想がつきます。

こう説明すると何だか簡単そうな気もしますが、人間の行動は複雑です。1 期生には甘いもの好きのミッチー先輩もいれば周りを気にせず先にようかんに手を伸ばすヨウヘイ先輩 もいれば控えめなクーニー先輩もいて、2 期生で実現した法則性は保たれないかもしれません。しかし、それらをまずは単純化して「だいたいこういうコトになってるんじゃないか」 と大胆に法則性を作ってしまうのが経済モデルというものです。飛行機のプラモデルと同 じです。実際にはジュラルミンでできた大きな機体ですが、プラスティックで作って手に載せて見れば全体を見渡すことができます。人間の行動もいろいろな例外を取り除いて単純化していくと、いろいろくどくど説明するのではなく、ちょっとムリはあるものの数式で表すことができるんじゃないかと発想したのが経済学の始まりです。例えば諸君も知っている価格と需給量の決定における均衡理論のように高度な数学的アプローチを用いることが伝統的な経済学の特徴で、主に「新古典派経済学」などと呼ばれています。この学問の流れの中にある手法を使って企業を分析しようとしているためコーポレート・ファイナンスの教科書には数学モデルが出てくるわけです。

新古典派経済学は常に完全合理的な人間が完全競争市場の中で行動することを前提としています。ここでは甘いもの好きのミッチーや控えめなクーニーの性格を無視し、モノゴトを単純化して考えることになります。しかし、現実にはミッチーやクーニーのように人には個性があります。慢心したり、恐怖を感じたりして人間の行動は常に理想(モデル) から離れ、必ずしも合理的には説明できません。そのため現実を見る上で数学モデルには 限界があります。ただし、モデルは複雑な現実を単純化して本質的な部分のみをうまく切り取って観察することに役立ちます。本当はジュラルミンでできた複雑な翼の形をプラスティックでモデルにし、浮力を分析するというイメージです。モデルで複雑な現実を作れるのであればモデルを作る意味はありません。だからあくまでモデルなのです。

我々が対象としている企業価値の分析も同様です。伝統的な経済学では企業それ自体が最小の費用で最大の利益を常に獲得している単一組織として単純化し、そこで働く経営者や株主といった特性を無視しています。DDM や CAPM はそうですよね。宮川研究室はこのようにしてモデルによって単純化された企業をまず理解し、その上でモデルのどこが現実とかい離しているのか、現実を説明するためにはモデルに何が足りないのかといったことを考えながら徐々に現実に近づいていくというプロセスをたどります。先月のゼミでも私は今の基本書は腹筋や腕立てをしながら基礎トレーニングを積んでいるのと同じだと説明しました。まさにフィットネスを鍛えてモデルの意味を理解しないことには現実世界の面白さを感じることはできません。今しばらく汗を流しましょう。

以上のように考えると、ますます文系と理系という概念が無駄であることがわかります。 我々は現実を分析するために数学的手法を道具として使用しているに過ぎず、数学そのものを勉強しているわけではありません。特別な分野を除けばおそらく多くの「理系の学部」 で行っている科学も対象が異なるだけで我々と同様のことをしているのだと思います。商学部というのは先に述べた家計、企業、政府の中で企業を対象としてその行動を科学的に 分析し、経営、戦略、組織、財務、マーケティングといった企業内の特徴が外部の経済全体にどのような影響を与え、逆に与えられるのかを探究している分野と言えます。

1「配当割引モデル(DDM)」とか「資本資産評価モデル(CAPM)」とか、みんなモデルという名前がついているでしょ。
2東京赤坂に本社がある高級ようかんの老舗です。発祥は京都と言われています。ちなみに私は虎屋のようかんの中では「夜の梅」をご贔屓にしていますが、これを諸君のためゼミに持って来ることはまず絶対にないと思います。 

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