卒論とはなにか?(1) 卒論の心構え

1.卒論の心構え

後期試験が終わってやれやれと思っているかもしれません。でも、4年生、いよいよ来年度は卒業論文に取り組むことになります。

私が是非とも諸君にお願いしたいことは「どうか楽しんで卒論を書いてほしい」ということです。諸君は卒論と聞いて憂鬱な気分かもしれませんけど、本当はこれほど楽しい作業はありません。そこで、卒論について少しお話をしておこうと思います。

生涯ついて回る卒論のテーマ

諸君の「大阪公立大学商学部卒」という最終学歴は生涯死ぬまでついて回ります。どこへ行ってもだいたい「大学どこなの?」と聞かれます。最終学歴は人生においてとても重要です。実は卒論も最終学歴と同じくらい重要で、生涯死ぬまでついてきます。

というのも、今回書く卒論がおそらくほとんどのゼミ生にとって生涯最初で最後の単著の学術論文だからです。宮川ゼミでは三年生のときにチーム論文を一本仕上げていますが、大学院に行って学者にならない限り単著で学術論文を書くという経験は普通の人生ではあり得ません。だから、どうせならこの貴重な経験を一年間かけて楽しんでもらいたいと思うわけです。

こんなシーンを想像してみてください。会社に入ってたとえば上司とバーで水割りを飲んでいて、話題に困ったその上司が(だいたいキミたちただマジメでおとなしくて飲みに行っても話題が貧困ですから)、「キミ、商学部だったよな?どんな勉強したの?」なんて聞くかもしれません。そのときはもちろん宮川先生のゼミでコーポレートファイナンス理論を勉強したなんて答えるでしょう。

するとその上司は「ほぉ、コーポレートファイナンス理論か。そりゃ大したもんだな。」と反応した後で、往々にして「卒論てなに書いたの?」となるのが普通です。私も会社でそれを聞かれたことは何度もあるし(私の場合キミたちと違ってそれしか話題がないからではないですけどね)、逆に私は上司の立場として後輩に聞くことが何度かありました。

他の人が他の大学でどんな勉強や研究をしていたのかを聞くことにはなかなか興味深いものがあります。これまでには犯罪心理学の研究をしていた営業マンの後輩とか、ゾウリムシの生態を研究していたファンドマネジャーとか、縄文式土器についた古代植物の研究をしていたアナリストとか、いろいろいました。思わず「なに、それ?どんな内容なのか聞かせてよ」なんて身を乗り出すテーマです。

だれを読者に想定するか?

さて、そこでなんですが、諸君がこれから書く卒論の読者を以下のように想定してください。つまり「キミ、大学どこなの?」と聞かれて「どんな勉強したの?」という問いに対して卒論のテーマを話したところ「それおもしろそうだなあ、内容を聞かせてよ」もしくはもう一歩踏み込んで「それ興味あるんだけど一度読ませてくれない?」とバーで身を乗り出す上司、です。

ここに諸君がこれまで単位を取るために書いてきたレポートと卒論の決定的な違いがあります。レポートは「単位を取ること」を目的に、「自分がどれだけ勉強したか」を担当教授一人に向かって「報告」するためのツールです。

レポートの読者は私一人ですが、これに対して卒論は「だれが読むかわからない」という点で大きく違います。レポートは教科書や参考文献をうまく引用して自分が勉強したことをアピールすることが目的ですから、読んでいる私にとっては「おどろき」も「おもしろさ」もありません。これに対して卒論は「おどろき」や「おもしろさ」がないとバーでの話題としてもちません。

卒論はだれが読むかわからない

卒論は「だれが読むかわからない」という点で、職場の上司と行ったバーのシーンを想像してもらいました。もちろんバーでの話題をもたせるために卒論を書くわけではないのですが、ノリとしてはそういうノリで構いません。

諸君が完成させた卒論は原則として本学の学術総合センターに所蔵され、だれでも読むことができるようになります。宮川ゼミの後輩だけでなく、他のゼミ生や他の学部生、他大学の学生もそこへ行けば読むことができます。

また、宮川ゼミでは卒論のテーマをウェブサイトで公開します。昨年のこと、その中のあるOBの卒論テーマを見た他大学の見ず知らずの学生が私にメールしてきて、自分も同じテーマで研究しているのでその卒論を読むことはできないかと相談がありました。もちろん卒論の執筆者本人に連絡を取って彼に読ませてあげたのですが、こんなことだってあります。

諸君もご存じのとおり宮川ゼミの研究についてテレビ局から取材の依頼もありました。もっと身近なことでいえば、少なくとも諸君の後輩は先輩の卒論に大きな興味を抱いています。このように卒論はレポートと違って「だれが読むかわからない」広い読者を対象としているわけですね。諸君にとって広い読者を意識して正式な文章を書くという経験は初めてのことだと思います。そして多くの場合、最後のことになるかもしれません。

だから、だれにでもわかるように書くのが卒論

ということは、実は「だれにでもわかるように書く」のが卒論です。おそらく多くの諸君は、学術論文なんだからきっとだれにもわからないような難しい言葉を使って、だれもが知らないような難しい理論を使って、だれもが辟易とするような長い文章にして、厳かに重苦しく書くものだと想像していると思います。もちろん学術論文ですからきちんとした形式がありますが、これらの理解はおおむね間違いです。毎年多くの学生が、他人の言葉を借りてきて、自分でもよくわかってない表現を使って、自分にも混乱するような論理で、自分のことだけ考えて字数を埋めようとします。

このあと学術論文の構成の仕方について話をするのですが、学術論文の目次の構成は読者を惹きつけるようにできています。常に読者が「なるほど~、それで?」「ふむふむ、で、次はどうなるの?」と乗り出してくるよう実は豊かなストーリー性によって構成されています。毎年、私が卒論指導で話していることですが、卒論を読んでいる読者が「なるほど~、それで?」「ふむふむ、で、次は?」と身を乗り出しているかどうかを確認しながら書いていかなければなりません。論理的に書くというのは実はそういうことです。

バーの上司やゼミの後輩がすらすらと無理なく読めるように、話の順番を考えて、筋道が立つよう根拠を示して、ときに補足をし、必要に応じて例証し、わりやすく結論付けて、情理を尽くして自分のアイデアを納得してもらう努力をするのが学術論文を書くという作業です。「ここはきっとわかりにくだろうな」と思うところは丁寧に、「この知識が前提にないと後が困るから」と思うところはじっくりと、もし読者が自分も同じように検証してみたいと(先ほどの他大学の学生みたいに)思う人のためにだれもがデータを取得できるよう詳細なデータセットの説明をしてあげましょう。

私が言っているのは奇をてらったウケを狙うようなテーマを卒論に選べということではありません。だれも見向きをしなさそうな、どんなにつまらなそうなテーマだろうと「だれが読むかわからない」わけです。キミが選んだテーマを見て「へえ、それって興味があって前から知りたかったことなんだよね」という人がいることをあくまで想定してください。だから「だれにでもわかるように書く」ことが大事です。

毎年のことですが、書いているうちに自分でもなにを書いているのかわからなくなって泣きを入れに研究室に来る人がいます。そういうときは自分の文章を読む相手の立場になって考えること、これがとても大事なことです。

卒論とはなにか?(1) 卒論の心構え への1件のコメント

  1. 大村 優波

    社会に出て早1年が経とうとしておりますが、先生のご推察の通り卒論に関する話題は何度か出て来ます。特にインテリ系の同期や先輩は知識欲が旺盛ですから、三商大の商学部を出たとなれば鼻の穴を広げて期待に満ちた顔で「卒論て何書いたの?」と聞いて来られます。(大抵の場合、早々に自分のターンは切りあがって相手の卒業研究の話をハナからケツまで聞くことになりますが、それはそれで興味深い時間です。)

    ブログの中で説明のある、レポートと卒論の決定的な違いは、これから初めての卒論に取り組む人には最も意識すべきポイントの1つですね。
    一般的な文系大学生の卒論に対する感覚は、恐らくレポートの延長線上にあるもの、期末のレポートに毛を生やすもの、と言ったところだと思います。しかし幸運にも宮川ゼミに弟子入りした9期生は是非ぶつかり稽古で、文章の書き方、構成を身につけて欲しいなと思います。
    私は卒論を通してもっと知識や技術を先生から盗むべきだったなあと卒業間近になって後悔したことを思い出しました。

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