就職活動最前線(1984年の物語)

        序章

   (一九八四年:就職活動)

   一九八四年の日経平均株価は、年明け早々に史上初の一万円大台乗せを果たし、年間を通じてほぼ一万円を挟む攻防となった。年末に向けて徐々に値上がりし、十二月には一一,五 七七円の高値を付ける。
 この年の位置づけは、いわゆる日本の安定成長期と呼ばれた時期がほぼ終焉にさしかか る頃だったと捉えられるだろう。少し長い目で遡るが、一九七三年の第一次石油ショック、 続く七九年の第二次石油ショックによる世界経済の混乱が、日本の輝かしい高度成長の幕 を強引に下ろし、それまで石油をがぶがぶ飲みながら全力疾走し続けてきた「重厚長大」産 業が失速に向かった。代わって世の中の主役は、自動車や機械など組立加工産業が果たすこ とになる。いわゆる「軽薄短小」がはやりの時代である。その過程で日本経済はゆっくりと 安定成長と呼ばれる時期に入るのだが、それもちょうど末期となるのが一九八四年だ。 
 この年のGDP成長率は四.五%と依然として高く、為替は二三〇円台で推移していた。 第二十三回ロサンゼルス・オリンピック大会で山下泰裕が柔道無差別級の金メダル獲得とい う華やかな話題と同時に、グリコ森永事件が世の中を震撼させた年でもあった。

                 ※       ※       ※

 応接室
 一九八四年の夏は、きっと今ほど暑くはなかったはずだ。特に、そろそろ夕暮れとなるこの時刻には、日中の追いすがるような蒸し暑さが徐々に手かげんし始めて、わずかだが、す ずしささえ感じる。人事部の高畑さんが私に指定したのはそういう季節の、思ったより遅い 時間帯だった。
 幡ヶ谷にある下宿を出て、地下鉄日本橋駅で降りたことは間違いないが、そこからどの道 を辿ったのかは記憶にない。その日の最初の記憶は、軍艦ビルというニックネームで呼ばれ る焦げ茶色のレンガをあしらった古めかしい建物に沿った長い歩道だ。その場所にせまる 夕暮れは、子供の頃の帰り道に感じたのと同じように、大学四年生の私を心細くさせていた。
 日本橋を背にした自分の左側に、目的地である軍艦ビルが横たわっている。見上げると、 それぞれの窓は黄色い灯かりが煌々としていて、ビル全体がまだ温かい呼吸をしているよ うだった。
 私の前を歩く男がいる。その男は、黒いアタッシュケースを下げ、ネイビーのスーツを肩 にかけている。早足のまま、社員通用口からそのビルに吸い込まれた。その男と自分との距 離は短かったが、二人の間は途方もなく高い壁で隔てられているように感じる。何の変哲も ない日常としてここを歩いているその男が、光り輝く別世界にいる人に見えて、自分だけが 取り残されたような思いに駆られる。
 何度か来たこの歩道を、自分が歩くのは今日が最後になるのだろうか。あるいは、数年後 には嫌というほど、慣れ親しむ日常の風景になるのだろうか。軍艦ビルはその問いかけには 無表情で、何ひとつ教えてはくれない。高畑さんに指定された真正面にある建物のエントラ ンスがやたら遠くに思えた。
 エレベーターで四階に上がる。このエレベーターも何度か来た。しかし、この時刻になる と、四階の受付にいつもいる女性の姿はなく、高畑さんに指示されたとおり、ハイカウンタ ーの冷たい受話器を取った。
「よおー、来たな。今日はこっちの部屋にしよう。」
 黒いファイルケースを手にした高畑さんが、いつものような笑顔で案内してくれたのは、 いつもの応接室ではなかった。
 いつもの応接室は、茶色い合成樹脂のソファーと黄土色の木のテーブルが設えられた狭 い部屋だったが、招かれた場所はびっくりするくらい広い部屋だった。黒い革張りの大きな ソファーを挟んだ中央には、運ぶのに苦労しそうな重厚なテーブルが置かれ、テーブルには 白いレースの上に、見たこともない大きなクリスタルの灰皿が鎮座している。この灰皿に吸 い殻を押し付けるのはどんな気分だろうか。わずかに木目が浮かぶブラックウォールナッ トのテーブルは、少しでも触ると手あかがつきそうだ。
「お時間いただきありがとうございます!」
 緊張を吹き払うようにして、いつもの最敬礼をした。高畑さんに着席を促された。とたん に彼の笑顔は消え、厳かな雰囲気で今日の目的を切りだした。
「残念だが、本年度の内定者はすでに予定数に達した。だからもう、オレの立場ではキミに 内定を出すことはできないんだ。」
 高畑さんはここで一呼吸を置いた。私はただうなずくしかなかった。
「しかし、キミがそこまでして当社を志望してくれた熱意に感謝している。当社としてもそ んなキミに敬意を払って、きちんとした対応をしてやろうということになった。そこで、今 から部長に会ってもらう。部長がオーケーなら内定だ。だめならお互い縁がなかったとあき らめよう。部長みずからキミに『引導』を渡してくれるというわけだ。」
 学生は滅多に使わない「インドウ」という言葉の意味も漢字もよくわからなかったが、ご くりと生唾を飲んで高畑さんを見上げた。高畑さんはこう付け加えた。
「ただし、忙しい人だ。無理を言って頼んである。十分な時間はないかもしれない。」

将来の夢
 もともと企業に就職するなど考えもしなかった。母方が法律家の家系で、祖父は裁判官、 叔父は弁護士、従弟も弁護士、従弟の長女も現在は司法試験の受験生だ。叔父に特別かわい がられた私は、自分も叔父のようになることしか考えていなかった。まだ中学生の頃に、な ぜか弁護士法第一条を読んで「社会正義を実現する」という言葉に、涙が出そうになるくら い心が震えた。子どもの頃から、勧善懲悪が大好物、向こう見ずで乱暴な熱血的正義漢だった。 
 中学受験をして行きたかった私立中学に入学し、高校は地元トップの名門校に合格した。さしたる努力もしないのに、勉強もスポーツも「だいたいオレはなにをやってもうまくいく」 と、自分の将来すらも楽観していた。大抵こういう未熟な高慢さは、どこかで痛手を食うの がオチだ。大学受験でいやというほど痛い目にあった。浪人して、行きたくなかった大学の 入学手続きをすることに妥協した。
 それでも大学二年生のとき、その大学が誇る「法科特別研究室」の入室試験に合格し、勉 強漬けとなった。目的もなくフラフラ遊んでいる大学生を馬鹿にしていた。「やりたいこと もなく、なりたいものもなく、勉強もせずに、無駄な生き方しやがって。」確かに研究室で 勉強はしたが、しかし、そうエラそうに他人にいばれるほどの努力でもなかった。研究室に はもっと優秀で、血を吐くような努力を平気な顔でする学生がいくらでもいた。先輩がまた すごかった。こんなに優秀なのに、こんなに努力するヤツ、いままで見たことなかった。そ んな秀才ですらなかなか将来の道を拓けないまま、大学を卒業しても研究室にとどまって いた。
 厳しい現実を目の前にしても、なぜかノンキで、どこかで手を抜こうとする。だいたい私 の見てくれが、地道に勉強で身を立てる感じがしない。体が大きく、声が大きく、がさつで、 大食いで、小脇に抱える「六法」もどこか不釣り合いに見える。研究室でも特別に浮いたキ ャラだ。この研究室で先輩から褒められるのは、私が万年筆で書く論文の字くらいだった。 いくら美しい字が書けても、ここではなんの腹の足しにもならない。
「こりゃ、やっぱムリかな?」
 四年生になって、ようやく自分がそう気づいたときには、「やりたいこともなく、なりた いものもなく、勉強もしなかった」まわりの同級生は、すでにスーツを着込んで、髪の毛の すそをきれいに刈り込み、就職活動の前線部隊に迫ろうとしていた。
「こりゃ、まずいかも。」
 これまで馬鹿にしていた同級生と同様に、自分には「やりたいこと」も「なりたいもの」 も、もはやないことを知った。ただ、自分はもっと多くの人と関わりながら、スケールの大 きな世界で、自分のこの特異なキャラを生かす職業を選ぶべきだと漠然と思っていた。
「さて、就職活動って、一体どこから何をすりゃいいんだ?」
 そんなとき、途方に暮れていた私に同級生が物知り顔で、無責任なアドバイスをしてくれ た。
 「おまえ、証券会社がいいんじゃないの?体がデカくて、声が大きくて、元気さえあれば 内定もらえるらしいぜ。」
 それはオレにぴったりじゃないか、と彼のアドバイスに素直に飛びついた。彼はすでに第 一勧銀の内定をもらっており、でも富士銀行に行きたいからといって就職活動を続けてい た(両行いずれも現在のみずほ銀行)。どうしても住友銀行に行きたかったけど、仕方なく 三井銀行に行くと言っていた同級生もいた(両行いずれも現在の三井住友銀行)。彼らは一体どうなったことだろう。当時十三行あった都市銀行が、自分たちが入って二十年も経たな いうちに、たった三行になってしまうことを、当時のわれわれは知らなかった。都銀をいくつも受ける学生たちのことを、当時は「都銀十三面待ちのダブル役満」などと軽口をたたき合っていた。

就職活動
 証券業界には、野村、大和、日興、山一という四大証券というのがあって、この中でも野 村がダントツに大きいということを初めて知った。
「なにしろ他三社の売上合計を足したって野村に及ばないんだぜ。」
 証券業界というのは、そういう特殊な構造になっていることを同級生に教えてもらった。 だったらオレが証券会社に行くとすれば野村しかないだろう。なんだってダントツ一番は 気持ちがいい。それだけ仕事がたくさんあるということだ。そう言った私に、彼はこう加えた。
「三社はともかく、野村だけはそんなに簡単に内定くれないらしいよ。」
 ちなみに彼はこのあと富士銀行に内定をもらい、内定を断った第一勧銀からこっぴどく怒られたという。
「やっぱ都銀行くなら富士だよな。なんかほら、個性あるだろ?」
「いや、住友も確かにいい銀行だけどさ。でも、あそこ、シゴトきびしいから。三井と違っ て。」
 なにが根拠かはわからないが、当時の私は彼の豊富な情報(実は単にトリヴィアルなうわ さ話)に「ほー」と感心するばかりだった。根拠がわからないうわさ話といえば、当時、野 村は仕事が厳しいというのはもっぱら揺るぎない定評だった。学生の間で、仕事が厳しい会 社のベスト3は野村、住銀、物産と言われていた。仕事が厳しいと言われると、ますます自 分はそこに行かなければならないような気持ちにとらわれた。
 うちの大学の校風なのか、とにかく就職活動においては学生同士が協力し、情報も共有し 合うのが普通だった。サークル仲間やゼミ仲間だけでなく、会社説明会などで初めて知り合 った同窓同士もやたらと友達になった。「なんだ、キミ、明治か? オレ、法学部だよ。」「そ うか、同じ業界志望なんだ。これ終わったら飲みに行こうぜ。」奇妙なことに、こうして知り合った友人と今でもつきあいがあったりする。
 だいたい大学の友人グループには一人か二人の便利な情報通がいたものだ。どこでどう やって聞いて来たのか、怪しい情報がほとんどで意外と使いものにならなかったが、とにか くみんながオープンだった。
 「A社の説明会行ってきたけどさ、オレにはピンと来なかった。でも、おまえに合ってる 気がするんだ。行ってみろよ。来週の火曜日にまた説明会やるぜ。」とわざわざ電話してく れる友人がいたり、「B社はゼッタイおまえの性格に向いているよ。OB訪問で知り合った 人がいるからおまえのこと売り込んでおいたぞ。ほら、電話番号これ。」という利他的で献身的な友情あふれるアドバイスも多かった。一方で、「C社の受付がすんごい美人らしいか ら一緒に資料もらいに行こうぜ」とか「D社の説明会に行くとサンドイッチ配られるから昼 飯代が一回分浮くぞ」などという不埒な誘いもあった。
 的確かどうかは不明だが、先輩もいくらでもアドバイスをくれた。「説明会に行ったらな、 まず一番に手を挙げて質問するんだ。なんでもいい。他の大学に先越されんなよ。それがメ イジだぞ。」とか「とにかく元気で明るいとこ見せろよ。なんたってメイジの強みはこれだ からな。」というやたらと愛校心あふれるアドバイスが多かった。
 そういう周囲の友人たちのおかげで、出遅れていた私も徐々に情報だけはキャッチアッ プできるようになっていた。自分が行きたいと思うのは、なんだか銀行ではなく、「仕事が 厳しい」証券会社のような気がした。いつのまにか勝手に金融機関に的が絞られている。本 屋に行って就職情報誌をいろいろと読んでみた。「間接金融から直接金融」とか「金融の自 由化」とか「銀行と証券の垣根」といった、今でもあまり変わらないようなカラフルな言葉 が並んでいたが、ただ「なるほどなー」と感心するばかりだった。なんだか証券会社がカッ コイイと思うようになった。ただし、この時点で、まだどこの企業の説明会にも行ったこと がなかった。
 一九八四年の就職戦線はさほど楽ではなかった。前年が景気の谷とされており、厳しい状 況が続いた後、少しずつ景気が回復に向かい始める頃だ。当時一九八四年に、リクルート社 が集計した就職人気ランキングを見ると、一位:東京海上、二位:三菱商事、三位:サント リー、四位:住友銀行、五位:住友商事、六位:三井物産、七位:日本電気、八位:松下電 産、九位:安田火災、一〇位:興銀という順位になっている。
 現在も同様にさまざまな会社が就職人気ランキングの集計に余念がないが、日経・マイナ ビ調査によれば、二〇一九年度のランキングは、一位:ソニー、二位:東京海上、三位:伊 藤忠、四位:JR東日本、五位:アサヒビール、六位:全日空、七位:JTB、八位:損保 ジャパン、九位:トヨタ、一〇位:バンダイナムコということだ。
 各社が躍起になって集計する就職人気ランキングは、調査対象や調査方法が不安定だし、 そもそもなにを明らかにしようとしている調査なのかよくわからない。しかし、こうして見 ると、要するに三十五年経っても大して変わり映えしないじゃないかということだ。だいた い金融と商社と大手メーカーなど時価総額の大きな「銘柄」、つまりは安定した優良企業の みが上位を占める。
 確かに一九八四年のランキングには、今は亡きなつかしい金融機関の名前が並ぶが、現在 二〇一九年度でもメガバンク三行の人気は健在だ。商事、物産、住商など財閥系商社もこの 調査で十位内にこそ顔を見せなかったが、ちゃんと上位にランキングされているし、前年や その前の年、あるいは他機関の調査ではベスト 10 入りしている。いずれにしろ上位の常連 として毎年ランキングされている。
 ちょっと興味がわいたのでさらに調べてみると、さらに二十年さかのぼった一九六五年 の調査(リクルートグループ保有資料)では、一位に東洋レーヨンが来て、七位に旭化成の名がある。伝統的な繊維産業が衰退した後の化学繊維の時代だったのかもしれない。しかし、 二位以下は大正海上、丸紅、伊藤忠、東京海上、三菱商事、旭化成、松下電産、住友商事、 三和銀行と、要するに半世紀以上経っても見慣れた顔ぶればかりだ。東洋レーヨンとて、現 在もベスト 10 に入らないまでも東レは相変わらずの超人気企業だし、旭化成の人気も健在 だ。大学生の好みが変わらないというより日本の産業構造は、さして大きな新陳代謝が起き ていないということなのだろうか。
 変わり映えしないと言えば、大学生の就職活動もそのプロセスは四十年前からほとんど 変わっていない。ネットや携帯こそなかったが、そのかわり就職活動のシーズンになると、 郵便でいろいろな企業からどっさり届いた会社案内で、下宿の共同郵便受ははちきれそう になった。興味のない企業の会社案内は、さっさと思い切りよく捨てなければ、狭い下宿は 会社資料で寝る場所がなくなる。会社の資料とハガキが一緒に封入されていて、この返信用 ハガキが、現在のES(エントリーシート)の役割を果たした。リクルーターと呼ばれる採 用担当者も当時からいたし、OB訪問や会社説明会というイベントもほぼ変わらない。就職 協定というものも当時からあり、ときどき問題になるのも今と同じだ。そもそも筆記試験や 大学の成績ではなく、いちいち面接を行って内定を出すという「人物重視」の採用方法もま ったく今と同様の手口だ。
 日本の就職活動は何十年も同じことを繰り返しながら、常に同じことが問題視され、常に 同じような議論が行われ、今なお相も変わらない。滑稽な話ではあるが、実はそれなりの合 理性が存在していたように思う。

証券会社
 さて、「金融の自由化」がなんのことなのか徐々にわかり始めたものの、だいたい証券会 社がなにをやっている会社なのかよくわかっていない。大学で商法は勉強したが、そもそも 株式売買というものにまったく馴染みがない。
 当時の野村證券の学生向け会社案内パンフレットの表紙は、きれいな色のレジメンタル タイをオシャレにかたどった華やかなデザインだった。「金融」というとスマートだ。それ が「自由化」となると、さらに先進的なイメージだ。しかし、株を扱っていると言われた途 端、なんだかカビ臭い気がする。株の取引という響き自体に、危険な暗がりに怖いもの見た さで足を踏み入れるような警戒感を覚える。そんな複雑な気分で野村證券のパンフレット を熟読した。
 カラフルな誌面だが、情報がてんでばらばらで、何度読んでも頭に入ってこないもどかし さを感じる。ニューヨーク証券取引所の派手な写真が出て来たかと思えば、どこかの支店の 営業マンが写真入りでコメントしていたり、経済記事のようなコラムが掲載されていたり と、つかみどころがない。
 そもそも自分がそこで働いているイメージが湧かない。東京駅丸ノ内の広い横断歩道を どっと渡っていくスーツ姿の人々、きっとその風景の中に自分もいつかは紛れ込むのだろう。野村證券だろうが、東京海上だろうが、サラリーマンになるということは、要するにそ ういうことに違いない。そんなことのために周りの学生はみんな一生懸命に就職先を探し ている。オレの人生、本当にそんなことでいいのだろうか。
 そうかと思えば、また違ったことも空想する。今の汚いジーンズとスニーカーを脱ぎ捨て、 パリッとしたダークスーツにアタッシュケースを持ち、人の前をズンズン歩いていく自分 だ。時に難しい顔で相手と交渉し、時にさわやかな笑顔で誰かと挨拶したりする。丸ノ内の 横断歩道を渡る顔のないスーツ姿の匿名的な集団ではなく、自分だけは彼らと違ったバイ タリティに満ち溢れたビジネスマンになっているような気もする。
 来年の四月一日、いったい自分はどこでどうしているんだろうか。神様はすでに知ってい るはずだ。しかし、イメージが像を結ばない。発想はあらぬ方向へと進んでいく。そうだ、 とりあえず本社を見てみよう。そこで働いている人を見ればなにかを感じるかもしれない。 証券会社の本社に行って、自分がそこにいることに違和感を覚えないかどうか、それがまず 大事だ。企業説明会やOB訪問なんて何度やっても得られる情報はたかが知れている。なぜ 今までこのことを思いつかなったんだろう。野村證券だろうが、大和証券だろうが、まずは 本社で人が働いているところを見てみよう。
 昔から性格は型破りがモットーだ。周囲の状況をつぶさに確認する冷静さに欠けるし、前 例を重んじる慎重さも持ち合わせていない。自分がいいと思えば勘違いのまま突き進む。結 局そのままなんとかなってきた。私の型破りな就職活動がようやく始まった。

大和証券
 その昔、植木等の「日本無責任シリーズ」というコメディ映画があった。一九六〇年代の 高度成長期の猛烈サラリーマンを風刺して大ヒットした(らしい)。東宝からシリーズもの で放映されたこれらの映画は、われわれの時代よりは古く、リアルタイムで観たことはない。 しかし、後に会社に入ってから同期の友人が「元気になりたいときに必ず観る映画」と絶賛 していたため、一度だけレンタル DVD を借りたことがある。
 酒造メーカーや自動車メーカーの営業マンに扮する植木等が、口八丁手八丁で難局を切り抜け、出世するという単純で痛快なストーリーだ。実は、これらのシリーズもので植木等 が勤務する会社のロケ地が、どういうわけか常に呉服橋にある大和証券本社ビルだった。さ ほど大きくはないが、地上九階建てで総ガラス張り、紺と薄緑のルービックキューブのよう な外観は、おそらく植木等の時代には人目を引くランドマークだったことだろう。なにしろ 呉服橋の交差点。立地がいい(現在は大和証券グループ本社として丸の内のグラントウキョ ウ・ノースワターという四十三階建てのド派手なビルにある)。映画では、ややダブっとし たスーツに細みのネクタイをして、頭をポマードできっちりとなでつけた植木等が、ビルの エントランスに向かって、軽快にスキップしながら入っていくのが、お決まりのシーンだ。 
 さて、朝の九時。私はその大和証券本社ビルの前に立っていた。アポイントはない。朝の 九時を選んだのは、出勤してくる社員の顔を見ようと思ったからだ。みなさん、どういう表情で出勤されるのか、なにかのヒントになるはずだ。しかし、証券会社の朝は早い。この時 刻になってのこのこ出社してくる大和証券の社員など一人もいない。それどころか、すでに 朝の仕事のルーティンを終え、茶封筒をかかえて外出する社員がちらほら見える。もちろん 軽快なスキップはしていない。
 観音開きの、分厚いガラスのドアを押して中に入る。広いエレベーターホールになってお り、数機のエレベーターが稼働している。当時はセキュリティなどという概念がない。今な ら、電車の改札のような入口があって、カードがないと中には入れないのが常識だが、その ときは紺の制帽と制服を身につけたガードマンが二人、無表情に立っているだけだった。し かし、こちらには目もくれない。一人のガードマンがもう一人のガードマンに近づき、なに やら真面目な顔で話をしている。ちょうどそこにエレベーターが一機降りてきた。「よし、 いまがチャンス!」
 私はなにくわぬ顔をしてそのエレベーターに乗り込んだ。幸運にもエレベーターにはだ れも乗っていない。「R」のボタンを押し、すぐに「閉」のボタンを押す。エレベーターは重 い扉を閉め、ヒューンという音をたてながら上に向かって浮いた。これまた幸運にもだれも 乗り込まないまま、直行で屋上に到着した。屋上を目指したのは昨夜考えたとおりだ。まず、 エレベーターで屋上まで行き、後は階段を使って降りながら、一階一階を見て回ろうという作戦だった。
 まずは屋上に出てみる。植木等の映画では、屋上から見渡す景色には無数の赤いクレーン 車がにょきにょきと見えていた。まさに日本が高度成長期にあった証だ。映画の舞台は一九 六四年に開催された東京オリンピック前の建設ラッシュの頃だ。まさに植木等と同様に勢 いのある景色だったに違いない。しかし、私が大和証券の屋上から見る景色には、もはやク レーン車の姿はなく、そのかわりに少しくすみかけたビル群が、整然とマッチ箱のように並 んでいる。安定を感じる景色だ。
 植木等の映画に限らないが、昔の映画やテレビドラマで会社の屋上といえば、女子社員が 円になってバレーボールに興じる風景、というのがお約束だった。それたボールが、ベンチ で煙草をくゆらせる植木等の足元に転々と転がってくる。そのボールを取りに来た女子社 員がだいたいヒロインで、「あら、あなた確か営業部の〇〇さん?」などというせりふから 会話が始まる。それが典型的な出会いのシーンだ。
 しかし、さすがに屋上には朝の九時からバレーボールで遊ぶようなエネルギッシュ過ぎ る女子社員もいなければ、ベンチで煙草を吸っているノンキな男子社員もいない。当然だが、 屋上はがらんとしていて誰一人いなかった。
「なるほど、これが大和証券の屋上か!」というほどの感慨もない。ただ、なぜか屋上の片 隅にそぐわない古びた稲荷神社が祀ってあるのが目に入った。証券会社の屋上に稲荷神 社?これは一体どういうことだ?年に一回、神主を呼んで、全社員が屋上に集まり、株価の 値上がりを祈願する、そんなシュールな光景が頭に浮かんだ。
 四大証券の一角として輝かしい存在感を放つ大和証券と稲荷神社。そのアンバランスは私にとって、金融自由化やグローバル化という華やかな話題に包まれている金融業界と、ど ことなく古めかしい匂いのする「株」というアンバランスとの絶妙なコントラストを想像さ せた。せっかくなので、ポケットの小銭入れから十円玉を見つけて賽銭箱に投入し、かしわ 手を打っておくことにした。
 さて、本番はここからだ。階段を下りながら各階をめぐってみる。とにかく清潔感にあふ れるオフィスだ。当たり前だが、大学とはずいぶん違う。リノリウムの床はピカピカに磨き 込まれている。真っ白な壁材も手が触れると跡が残りそうだ。廊下は静まり返っている。時 おり男性社員数人とすれ違ったが、みなさんマジメで頭よさそうな顔つきだ。どういうわけ か白いワイシャツを必ず腕まくりしている。
 試しに、向こうから歩いて来た男性社員に「おはようございます」とあいさつしてみた。 相手はまったく動じることなく、当たり前のように「おお、おはようっ!」と笑顔で手を挙 げて快活な返事を返してくれた。なんだかいい人そうだ。少し勇気が湧いてきた。そこで、 その男性社員をやり過ごした後、さらに試しに、近くのドアを開けて部屋の中を覗いてみた。 広い部屋に整然と机が並び、みんな静かに机で仕事をしている。ある人はなにかのモニター をのぞき込み、ある人は熱心に書きものをしている。椅子の背もたれに大きくもたれて書類 を読んでいる人もいる。数人が立ち上がってなにやら話をしているが、大きな声ではない。 白いワイシャツでまばらに埋まった清潔な部屋の中は、おおむね静かで穏やかな雰囲気だ。 自分もこういうところで仕事をするんだろうか。なかなか実感は湧かないが、極端な違和感 も覚えなかった。

人事部
 こうして何階かの階段を降りながら、大和証券一人探検ツアーをしていくうちに「人事部」 というプレートを発見した。「ここが人事部か。これからお世話になるところだ。ここはひ とつあいさつして帰ろう。」型破りで無計画、それに無鉄砲が加われば学生時代の私の性格 そのものだ。いま思い出すだけでもハラハラするが、当時の私は「当然でしょ」というノリ で、ごく自然に人事部のドアを開けた。
 ドアを開けた先にはハイカウンターがあって、カウンターの上には呼び出し用のブザーボタンが置かれている。迷わずそのボタンを押すと、ほどなく一人の女性が現れた。紺の制 服を着用した小柄でショートカットの利発そうな美人だ。
「おはようございます」
 女性は育ちの良さそうな笑顔であいさつをしてくれたものの、その表情には若干の怪訝 さがうかがえる。当然のことだ。
「あ、あの~、その、ぼかぁ、明治大学の宮川といいます。実は大和証券に入りたくて、そ の、どういう会社なのか見に来たんです。そしたら、人事部があったので、一応、あいさつ しようと思いまして・・・。」
 相手は笑顔から不思議そうな顔に、その表情を微妙に変化させた。当たり前のことだ。
「アポイントはありますか?」
「いえ、ですから、その、アポイントはありません。会社を見に来たんです。」
 一瞬、思案顔になったものの、再び笑顔に戻り、「ちょっと、このままお待ちいただけま すか?」と言ってドアの向こうに消えていった。
 ほどなくして、その女性が今度はハイカウンター側ではなく、奥の通路側から現れた。
「どうぞ、こちらへ。」
 すぐ近くのドアを開けて小さな応接室に招かれた。その上、冷たい麦茶が運ばれてきた。 これはなんだか想定外のことになってきたぞ。だれか出てくるのかな?
 しばらくすると、きちんと頭を七三に分けた色黒の三十がらみの男性社員がノックとと もにドアを開けた。あくまで好意的な表情だ。ドアを開けて立ったまま、
「きみ、奥村部長に呼ばれたんじゃないの?明治の学生さんだろ?」
「奥村部長?い、いえ、そういうわけじゃ。ただ、会社を見に来たんです。」
「ホントにそうなのか。一体どうやって入ってきたんだい?」
 男性は「おいおい、マジかよ」という表情で私の向かい側のソファーにあらためて座り、 こちらを観察している。そこで、私は簡単な自己紹介をして、自分が就職活動をしている学 生であること、証券会社を志望していること、そして今朝は大和証券の本社を見たいと思っ て来たこと、どうやってビルに入ったかといういきさつから、稲荷神社に賽銭を入れたこと まで説明した。
 相手は、稲荷神社のくだりで爆笑したが、終始おだやかな笑顔で私の話を聞き、いろいろ と質問をした。楽しい会話という感じだった。その男性社員は自分が人事部の小林であるこ とを名乗った。
「宮川くんさ、普通はOB訪問とかするだろ。明治ならうちの会社にも先輩がたくさんいる ぞ。」
 実は人事部長の奥村氏が明治大学のOBだという。そういえば同級生がそんなことを言っていた。それをもっと早く思い出すべきだった。会話の途中でドアがノックされ、一人の男性社員が現れた。
「おお、関根。ここ座れ。」
 後から入ってきた関根という男は小林さんに促されて彼の隣のソファーに座った。色白 だが、大柄で、昔は柔道部でならしたという雰囲気を残していた。小林さんは関根さんに、 私がこれまで話したいきさつをおかしそうに伝える。関根さんは小林さんの話を聞き終わ ると、あきれた顔をして、「ウチの大学ってだいたいこういうヤツ多いんですよ。」と笑った。 体はごついが、笑顔がやさしそうだ。
 小林さんは私に向き直って言った。
「関根はキミの先輩だ。こいつは仕事できるぞぉ~。うちのエースだ。関根からよく話を聞 くといいよ。」そして、こうつけ加えた。
「やっぱメイジの先輩と後輩だな。キミ、ちょっと関根に似たところがある。」
「そうすかねえ」
 関根さんはその評価に不満そうだったが、実に親しみのある笑顔をこちらに向けてくれた。関根さんは小さな紙を私の前に置いた。「学生カード」と書かれたその紙は、氏名、大学名、ゼミ、部活サークル名、特技などを記入する形式になっている。いわゆる今でいうエ ントリーシートのようなものだ。
「宮川くん、キミ、明日の午前中にもう一回こちらに来られる?」
「ええ、そりゃもちろん!なにがあったって来ます!」
「じゃ、朝の十時半に来てくれ。明日はその紙を書いて持って来るんだ。もっといろんな人 に会わせてやるよ。昼メシも一緒に食おうぜ。」
 なんだか話が進んでいる気がする。これは少なくとも悪い方向には行ってなさそうだ。私 は二人に深々と頭を下げてお礼を述べ、そして、植木等ばりのスキップを踏みながら大和証 券本社ビルを後にした。そうか、就職活動ってこうやりゃいいんだな。話が早くていいや。

野村證券
 大和証券に行った後、一人で昼食を取り、そのまま呉服橋から日本橋まで歩いて野村證券 の本社に突撃することにした。大学生にとって、日本橋はまったく縁がない場所だ。地図を 頼りに向かったが、目的地はすぐにわかった。
「これかーっ!これが野村證券かー!」
 大変に申し訳ない話ではあるが、大和証券の本社ビルに比べると、野村證券の本社ビルは スケールも風格も個性もまるで違っていた。まず、こげ茶色のレンガ造りというデザインに 目が奪われるが、ビルの形自体が異様だ。レンガが低い階層で横長にどーんと続き、マッシ ブな重量感に圧倒される。ところが、一面レンガではなく、下層階と最上階は白壁になって いて、緑青の屋根が蓋をしている。そこにまたこのビルの味がある。東洋系モダニズムとい うべきか、どう表現すべきか、日本橋側から見ると最上階にアンテナのような塔が見え、お 城のようにも見えるが、人々はこのビルを「軍艦ビル」の愛称で呼んでいる。愛称で呼ばれ るほど個性のある建物なのだ。
 こりゃ、さすがだなあ。私は、初めて世界遺産に出会った観光客のように、横長の軍艦ビ ルを何度も往復し、ときどき立ち止まっては飽きることなく眺めていた。ここで働くという こと自体なにやら誇らしい感じもする。野村證券の社員とおぼしき何人かが談笑しながら ビルに沿って歩いている。スーツを着用していない人は、もちろん証券マンお得意の腕まく りだ。日ごろ満員電車の中で見るサラリーマンは、だれもがイケてないオヤジに見えるが、 ここを歩く野村證券の社員は、デキるミドルという香りがしてしまう。
さて、そろそろいってみるか。手順は心得ている。「野村證券株式会社」という金文字が 刻まれている広い入口からドアを開けて中に入った。フロアの景色を確認する間もなく、ガ ードマンがささっと寄ってくる。
「いらっしゃいませ!どちらに御用でしょうか?」
 大柄で目がぎょろりとしたかなり年配のガードマンだ。制帽からは白髪が見える。そのい かつい雰囲気にややたじろいだ。
「いや、その、め、明治大学の宮川といいます。野村證券に就職したいと思いまして、会社 を見に来ました。」
「ああ、学生さんね?どなたとお約束?」
「約束はありません。」
「約束がない?なにしに来たんだい?」
「ええ、ですから、会社の中を見たいんです。どういう雰囲気の会社なのか。」
 ガードマンはほんのわずかに気の毒そうな顔をして
「お約束がないとねえ、会社の中に入っていただくわけにはいかないんですよ。」
「いやいや、ちょっとだけでいいんですよ。そのあたり、ふらふらっと・・・。」
「無理、無理。この先は本店営業部ですから・・・。」
「じゃ、すいません。トイレだけ貸してください。漏れそうなんです。お願いします。」
「トイレ?」
「ええ、あこがれの野村證券でオシッコさえすれば気が済みますから。お願いしますっ!す ぐ済みますんで。」
「トイレねえ。まーねえ、それくらいなら。そこ、ほら左奥の突き当り、入って右が男子ト イレ。」
「ありがとうございますっ!」
 トイレのドアも木目調でクラシックだった。なにより真っ白に磨かれた小便器がデカい。いまでもこのトイレのデカさは印象に残っている。用を足して、手を洗い、トイレの外に出 る。すると、右手に階段が見えた。先ほどのガードマンのおじさんの姿はない。チャンス到 来だ。その階段を迷わず駆け上がった。すると、後ろから「きみ、きみ!ダメだって!」と 大きな声がした。ガードマンのおじさんはちゃんと私の犯行を見ていたのだ。ガードマンも 駆け上がってきて、「ほらほら、降りなさいって。」と肩を叩かれた。
 元の場所に戻ると、ガードマンのおじさんは少し機嫌悪そうに言った。
「キミさ、メイジだろ?メイジならOBがいるだろ、この会社。その人に頼めばいいじゃな いか。そうすれば好きなだけ中に入れるさ。だれか知らないの?OBの人?」
 そこで、私は反射的に「柳井さん、知ってます。」と答えた。柳井さんは野村證券のOB として大学の会社説明会でしゃべっていた人だ。野村證券の説明会は大人気で、大学の階段 教室が満席となり、私は後の方で柳井さんの話を立ち見で聞いていた。「知っている」など というレベルとは程遠い。ほぼでたらめに口にした名前だ。ところが、ガードマンのおじさ んは予想もしないことを言う。
「柳井さん?なんだ、オレも知ってるよー!たしか営業企画部だったな。いつもあいさつす るんだよ。だからよく知ってる。ちょっと待ってな。」
 ガードマンは、受付の席の下からなにやら社内電話帳らしきものを取り出した。ピンク色の冊子だ。私に向かってそれをピラピラと掲げると言った。
「電話してやろうか?」
 これはなんだか大変なことになったぞ。しかし、ここで帰るわけにもいかない。
「ええ?ホントですか?どうかお願いしますっ!」
 仕方なくそう言うと、ガードマンは電話帳をペラペラとめくり、もうプッシュホンを押し 始めている。一気に体じゅうの血液が逆流する感覚を覚えた。おいおい、こいつはホントに まずいぞ。充血した頭がクラクラしそうになる。私は遠くからガードマンの姿をぼんやり見 ている。どうやら電話口に柳井さんが出たようだ。今のうちに逃げるか。ガードマンは笑顔 で受話器に向かって話をしている。そして、通話口を抑えたまま、「こっちへ来い」という ように私を手招きした。うれしそうに「キミ、宮川くんと言ったよな。キミと電話で話する ってさ、柳井さん。」と言って受話器を私の方に向ける。
 な、なんだって、マジかよ?おぼつかない足でガードマンに近づいた。心臓は今にも飛び 出しそうにバクバクしている。手は汗でねっとりと湿る。私は直立不動の姿勢で受話器を譲 り受けた。
「あのっ、すいませんっ!突然に。自分は明治大学の宮川といいまして、その・・・。」
 柳井さんは一体どんな反応をするんだろうか。だいたい自分の名前を告げたところで、柳 井さんにわかるはずがない。ところが、これまた全く想定外の返事が返ってきた。
「おー、宮川くん!よく来たなあ。」
 柳井さんは独特の甲高い声で、確かにそう答えてくれた。私はどう返事していいかわから ず、口があわあわ言っている。柳井さんはそれには構わずにこう言った。
「会社の中を見たいんだって?ちょっと今から会議でな。私は時間がないんだけど、株式部 に種田ってのがいるんだ。もちろんキミの先輩だ。今から種田に連絡するから、そこで待っ てなさい。」
 私がまともにお礼を言う暇もなく、電話が切れた。自慢気な表情で私を見ているガードマ ンに、これから株式部の種田さんという方が降りて来られるらしいということを告げた。 「そうか!そいつぁよかったじゃないか。」ガードマンのおじさんは、どうだと言わんばか りの表情だった。

株式部
 エレベーターで降りて来た種田さんは、ズボンのベルトがはち切れるようなでっぷりと した胴回りを持つ素朴な人だった。背は低く、ずんぐりむっくりしていて、首が短い。どう 見てもイケた感じではない。ただ、どこまでも人の良さそうな雰囲気が漂っている。汗かき なのか、首の汗を白いハンカチでぬぐいながらきょろきょろして私を探している様子だ。も ちろん白いワイシャツの袖は腕まくりして、そこから鍛えられた筋肉を見せている。私に気 づくと「おおー」と言いながらその短くて太い手を挙げた。
「会社の中を見たいんだって?オレんとこなら存分に見せてやるよ。ついて来いよ。」
 種田さんは親しげに私の肩を叩き、エレベーターの前に促した。エレベーターホールの階 層表示を指さしながら、どこにどういう部署があるのか説明してくれた。そして、エレベー ターに乗り込むと、その太くて短い指で三階のボタンを押した。エレベーターは「チン」と いう乾いた音で、われわれが目的地に到着したことを知らせる。
「ここが株式部だ。ちょうど今はバチューだ(「場中」と書く)。ええーと、つまり、株式の 相場が立っている時間てことだよ。ちょっと騒がしいぞ。」
  そう言ってドアを開いた。そこは、私がこれまで見たことのないような衝撃の現場だった。 サッカーグランドくらいの広さに部屋がぶち抜かれていて、遠くがかすんで見えるほどの 広さだ(実際にはそこまで広くはない)。壁一面に、株価の電光ボードが設置されており、 緑と赤の数字がチカチカと絶え間なく点滅している。ラジオの短波放送で、株価の実況中継 が部屋中に聞こえるように流されている。腕まくりの男性社員が何人も立ち上がったまま だ。手には二つ三つと器用に複数の受話器を持ちながら、時おり株価ボードを指差して何か を叫ぶ。「にじゅうえーんっ!」とか「売りモン、あとなんぼーっ?」とかいう叫び声が、 ラジオ放送と一緒になって、部屋中の空気がワンワンうなっている。受話器に向かって怒鳴 っている人もいる。大きな声で笑っている人もいる。何の紙かわからないが、紙を投げる人 もいる。制服姿の女子社員が数人、緊張した面持ちで机と机の間を走り抜ける。これまで体 験したことがない強烈なエネルギーで満ち溢れた空間だった。私はただただ唖然として立 ちすくんだ。
 種田さんは、ぼーっとしている私を自分の席に連れて行き、「ここ座っていいぞ」と椅子 をすすめてくれた。すると、隣の席にいたやせぎすのやや年配の社員が私に気づく。
「どした、種田?学生か?」とにこやかに種田さんに笑いかけた。
「ええ、大学の後輩なんですよ。」と種田さんが答えると、おどけた表情をして
「え?おめえ、大学出てんのか?」とからかった。そして、私を見る。
「種田の後輩にしちゃ頭良さそうな顔してるな。金の卵ってやつだ。どうだ、ココおもしろ いだろ?いい会社だぞ。野村に来いよ。」と親しげに話しかけてくれる。
 そして、どういうわけか、種田さんに代わってその人がいろいろと説明をしてくれた。支 店からここに注文が入り、ここから証券取引所に取り次ぐというような説明だったと思う が、理解はできない。電話機を指差しながら、それぞれどこにつながる電話かを教えてくれ る。忙しそうだが、なぜかゆったりとしたオトナの余裕を持っていた。年季の入った株式市 場の職人という雰囲気が漂う。
 その人の机の電話がオレンジ色に点滅した。電話のベルが聞こえないくらいに周りがう るさい。その職人は私に一瞥をくれて「いい時に来たな。ゆっくり見てけ。」と言い残した まま、すっと立ち上がって乱暴に受話器をつかんだ。いつの間にか自分が彼の下で何年も修 業を積んでいる弟子になったような錯覚に襲われた。
 見学は終了した。種田さんが一階の出口まで見送ってくれる。私はお礼を述べるのも忘れ、 興奮してこう言った。
「種田さん、オレ、決めました!必ず野村に来ます。ここがオレの職場だと思いました。間 違いありません。」
 完全に気持ちが高揚していた。これぞオレが求めていた活気ある職場だ。もうだれが何と 言おうともここしかない。ついに見つけたぞ。ヒートアップしきっている私に種田さんは笑 いながら言った。
「ははは、そうか、そりゃよかったな。でも、これから採用面接とか、いろいろあるからさ。 他の会社も行ってみるんだろ?焦らずによく考えればいいさ。」
「いえ。他はあり得ません。オレは絶対に野村に来ます。よろしくお願いします。野村に入 るためには、これからどうすればいいでしょうか?教えてください。」
「よし、わかった。そこまで言うなら、じゃ、もう少し話をしよう。このあたりで少し時間 つぶせるか?その先に東洋って喫茶店があるんだ。その一階に四時にいてくれ。オレの他に もリクルーターがいるから紹介してやるよ。」
 この一件から話はトントン拍子に進んだ。野村だけでなく、大和、山一、日興も次々につ ながり、数回の面接を突破していった。大詰めになって、日興は途中でこちらから話を断っ たが、大和からは「野村に断りの電話を入れるなら内々定にする」と言われた。大和のプラ イドもあるだろうが、野村の返事を待ってまで採りたくない人材だよと言われたような気 がした。ところが、その肝心の野村からは最終面接の後、電話がかかって来なくなった。や きもきする日が続いたが、これはどうやら落とされたようだと考え始めた。

師弟食堂
 お茶の水にある大学の学食「師弟食堂」で、一人ぶぜんとした表情で昼食の 定食(ライ ス大盛)をかき込んでいるとき、法学部の同級生、松本がやってきた。当時、携帯のない時 代の学生は、とりあえず大学に行けばだれかに会えるだろうという目的で、キャンパスの至 るところでふらふらしていたものだ。大学構内だけではなく、お茶の水から神保町にかけて の学生街には、そういう行き場を失った学生の溜まり場となる古風な喫茶店がいくつもあ った。その中でも師弟食堂は「だれかに会える確率」の最も高いスポットのひとつだった。 しかし、よりによって松本かよ。ま、しかたない。誰にも会わないよりましだ。松本は私に とってそういう存在だった。
 松本はテニスサークルに所属し、それなりに中途半端に遊びながら大学生活を過ごして きたイマドキの典型的な大学生だ。当時の分類でいえば、シティーボーイ系大学生という種 族に属しており、明治には少ないタイプだった。健康的に日焼けした甘い顔立ちで、多くの ガールフレンドと付き合っている。私にとっては、嫌いではないが、どこか完全には親しく なれない男という印象だ。少なくとも、私の典型的な友人タイプとはいえなかった。
 まだスーツ姿の私に対して、松本は、派手なピンクのポロシャツとグレイのファラのトラ ンクスにデッキシューズという、いつもの得意のいで立ちだった。
「よぉ、ミヤ。どーよ、就職の方は?」
「ま、大詰めだけど。なんだかな。イマイチってとこかな。」
「知ってる?斎藤のやつ、伊藤忠だってよ。すげえな。ま、アイツは優秀だし、そんなもん か。」
「へぇー、そう。」
「で、西田は富士通だろ。小林がJTBで、小森はリコーに内定もらったらしいよ。あと、 酒井は三和蹴って三菱に行くってよ。それと、佐々木は日本生命で・・・。」
 おいおい、松本、オレはいまそういう同級生たちの内定事情にはまったく関心がないんだ よ。耳をふさいで聞きたくないくらいなんだよ。そういう同級生の内定を心から喜んでやれ ないオレって、あぁ、なんてオレは小せぇんだ。自分が自分で嫌になる・・・。
「そういや、ミヤ。おまえ、証券会社じゃないの?」
「まあな。でも野村から電話がないんだよ。このままだと大和かな。」
「へぇー、オレ、野村から内定いただいちゃったぜ。」
「えっ?」
「三日前だったかなあ、電話で呼ばれて行ったら、その場で、内定だってよ。」
「お、おまえが?ノ、ノムラにぃ?ナ、ナイテイだとお?」
「でもさ、オレ、安田に行こうと思ってんだよね。野村はサ、ほら、ちょっと仕事キツイっ ていうじゃん(安田は安田火災海上保険のこと、現在の損保ジャパン)。」
 ざくざくと心が泡立つのがはっきりわかる。よりによって、この松本が、あの野村に。し かも、仕事がキツイから野村を蹴って安田火災に行く?
 松本は続ける。
「安田の押しが強いのよ。どうしてもオマエ来いよってサ。やっぱ、あれじゃん、法学部だ からいろいろ法律の勉強が役に立つと思うんだよね、損保では。法律の知識ってツブシが聞 くっつぅかさ。」
「んだとお?コノヤロー、もういっぺん言ってみやがれ!てめえなんざ、代返たのんで講義 には出ねえわ、他人のノートをコピーして単位取るわ。いいか、おめえに比べりゃなあ、オ レはおめえの百倍は勉強したんだよ。おめえが合コンだなんだと遊び惚けてるときに、オレ はな、ずーっと図書館で勉強してきたんだ。お、おめえが法律の知識だとお?なめんじゃね え、このべらぼう野郎!」というせりふを私はどうにか飲み込んだ。
「ミヤ、大和は悪くねえよ。もう野村は今年の採用終わったっつうし。んじゃ、な。」
 好きなだけしゃべって松本は去っていった。C定食のライス大盛は、もはや今の私にはち ょっと厳しい。砂を噛むというのはこういうことを言うのだろうか。なんとか最後の一口を やかんの麦茶で流し込んだ。外に出ると快晴だ。どこまでも青い空がやけにまぶしい。

ふたたび人事部
 あの松本が野村に内定。自分が死ぬほど行きたかったあの野村に。自分ではなく、よりに よってあの松本が内定。柳井さんや種田さんや種田さんの隣の席の株式部の職人、それにあのガードマンのおじさん、それぞれの顔が脳裏に浮かぶ。裏切られたような、あるいは最初 から遠い人たちだったような気持ちになった。しょせん出遅れて始めた就職活動のくせに、 簡単に「オレの職場だ」なんて勘違いしたに過ぎないのだろうか。
 師弟食堂を出て、駿河台下の交差点に向かう。足元のアスファルトがぐにゃぐにゃになっ て、膝までが埋まるような感じがした。絶望と不安とで、地面をしっかりと踏むことができ ない。足がふわふわしてうまく歩けない。で、どこに向かって歩いてんだ、オレは?
 神保町の古本屋街をふわふわとあてもなく歩いている。横道にそれれば、いくつも古い喫 茶店がある。このあたりも歩いていれば、たいていだれかに会う場所だが、今はだれかに会 って話をしたいような、あるいはだれにも会いたくないような、そういうウジウジした気分 だ。歩きながらも「あの松本が」という、どこにも持って行き場のない怒りとも嫉妬とも言 えない感情が体じゅうを複雑に渦巻いている。さらに、松本の「もう野村は今年の採用終わ ったっつうし」というせりふが頭の中をリフレインする。せりふにエコーまでかかり始めて きた。体はふわふわし、頭はわんわんしている。
 それにしてもなんの連絡もしてこない野村も野村だ。だめならだめと言ってくればいい じゃないか。このまま待ち続けてフェードアウトしていくのだろうか。考えてみれば腹立た しい。野村に対しても、こういうアンビバレントな感情が渦巻き始めた。このままでいいの だろうか。歩いているうちに、いつもの型破りで無計画で無鉄砲の自分が、徐々に徐々にだ が、戻ってきた。とりあえず行って話をしよう。なんなら悪態のひとつでもついてやれ。ここからなら半蔵門線で三越前まで一本だ。ちょうどまだスーツも着ている。好都合だ。
 三越前で降りて、野村證券本社前の電話ボックスに入った。連絡が着くのは種田さんしか いない。あのときにもらった名刺の電話番号をノートにメモしてある。まずは種田さんに話 を聞こう。メモに書かれた番号にかけると、種田さんはワンコールで出た。
「種田さん、明治の宮川です。」
「おおー、宮川か。どした?」
「ええ、その、面接の後、電話がないんですよ。人事部から。」
「たしか面接は三日前だったな。」
「ええ、そうです。」
「そうかあ・・・・。」
「このままじゃあきらめきれないんです。もう一度会ってくれませんか?もう一度ボクの 話を聞いてください。お願いします。」
「んー、そうか。ちょっと待てよ。」
 しばらくゴソゴソという音がした。
「宮川、今日来られるか?」
「来られるもなにも、もう来てますよ。いま御社の目の前の電話ボックスからです。」
「なにぃ?ははは、相変わらずのオトコだなあ。よしっ、すぐ受付に来い。」
 受付でしばらく待たされたが、種田さんがいつものように、腕まくりした太い腕に白いハンカチを持って、首の汗を拭きながらやってきた。
「今日はこっちだ。ついてこい。」
 種田さんは少し怒ったような表情で歩き出した。別の棟に向かうようだが、ひょっとした ら何度か面接で行ったことのある人事部のあるビルではないかと思った。
「人事部の高畑には会ったことあるな?」
「ええ、短い時間でしたが、一度ご面談いただいたことがあります。」
「宮川がそこまでうちに来たいと言うなら、オレが人肌ぬいでやらなきゃな。オレがキミを 推薦したんだし、オレもキミがうちに来ればいいと心から思ってるんだ。」
「ありがとうございます!」 「高畑はオレの同期なんだよ。アイツは気持ちがわかるヤツだからな。いま電話して時間を もらった。」
 種田さんは相変わらず汗を拭きながら、ずんずん先を歩いて行く。そして、わがもの顔で 人事部の受付を通り抜けて、「その応接に座って待ってろ」と勝手に私を応接室に座らせて 消えた。ほどなくして応接室に現れたのは種田さんではなく、高畑さんだった。
 高畑さんは、種田さんと違って、いつもきちんとスーツを着用している。グレンチェック のスーツにオックスフォード地の白いボタンダウンを合わせ、グリーンのレジメンタルタ イをタイトにしめている高畑さんを見て、こういう色の合わせ方いいなあと思った。すそを 刈り込んでかちっと固めた七三の髪型がそういうスタイルにマッチしている。高畑さんは 慶應のラグビー部出身だが、色白で体つきもどちらかというと華奢な方だ。この前会った時 に、四年間で公式戦には一度しか出たことがないと話していたが、ポジションを聞くのを忘 れていた。少なくともフォワードの体型ではない。
 高畑さんの表情は複雑だった。「やれやれ、困ったやつだ」とでも言うように、迷惑そう な、しかし、可笑しそうな、それでいて包み込むようなやさしい笑顔だった。
「す、すみません!押しかけて来たみたいで。」
「押しかけて来たんだろ?『もう一度ボクの話を聞いてください!』って言ったらしいな。」
 高畑さんはおおげさに私のモノマネでもするようにおどけて見せた。しかし、「じゃ、な にを聞いてもらいたいのか言いたいこと言ってみろ。」とは言わなかった。とりとめのない 雑談が小一時間ほど続いた。高畑さんの話は野村證券に関することではなく、もっぱら慶應 のラグビー部の自慢話に終始した。私は雑談として、大和証券の本社に潜入した話や、野村 證券でガードマンに止められた話などをおもしろおかしく話した。特に諧謔を弄したとい うつもりはないが、柳井さんに電話がつながったシーンでは、高畑さんは腹を抱えて笑って くれた。高畑さんは私の話の合いの手として、何度も「おまえ、メイジっぽいヤツだなあ。」 とか「そ、メイジってそういうとこあるんだよな。」とやたらと明治を強調して喜んでいた。 他校の人にそう言われるのも少し複雑な気分だが、悪い気はしなかった。
 楽しい会話が続き、私は当初の目的をすっかり忘れてしまっていた。そもそも何をしに来 たんだっけ?しかし、最後に高畑さんがこう言った。
「ちょっとオレに考えがある。今度は必ず連絡する。今日か、遅くとも明日には電話するよ。 すこし時間をくれ。」

人事部長
 広い応接室のドアに、小さく、そして早く、コンコンッとノックの音が聞こえた。ノック の音と同時くらい性急に、ガチャリといってドアが開き、そのオジサンは入ってきた。さほ ど大柄ではないが、がっちりとした体型だ。タイトに固めた短いヘアスタイルに、メタルフ レームのメガネ。ダークネイビーのスーツには、暗い臙脂のドット柄のネクタイが、きれい なディンプルを作って締められている。颯爽とした紳士だったが、その姿にはいかにもスキ を見せないキレ者といった雰囲気を漂わせている。なにより威圧感がある。若くして要職に ある同期トップの出世頭だった。
 オジサンは、応接セットの椅子にどっかりと深く腰かけると、私を一瞥してにやりと笑っ た。そして、隣に座っている高畑さんをあごでしゃくりながら「この高畑がな」と口を開い た。
「おもしろい学生がいるからどうしても会ってくれと言ってきかないんだよ。なかなかい いツラ構えしてるな。」
 座り直して私の顔を覗き込むオジサンの顔は、意外にも穏やかな笑みをたたえていた。私 は時間を取っていただいたお礼を丁寧に述べた後、簡単に自己紹介をした。
 その後は、とりとめのない雑談が続いたが、もちろん話の主導権は完全にオジサンが握っ ている。私は焦りながらも「はあ、なるほど」などとオジサンの話に頷くばかりで、ただ時 間だけが過ぎていく。このままではまずい。何も言えずに終わってしまう。意を決して私は オジサンに言った。
「五分間でいいですから私に下さい。言いたいことを言えればあきらめつけて帰ります。」
 オジサンはビックリしたように「ほう」と短くつぶやいたが、やがてガハハハと大きな声 で笑うと「聞こうじゃないか。」と私を促した。
 準備をしていたわけではない。乾坤一擲の大勝負、といいたいところだが、実は咄嗟に口 をついて出ただけで何を話すべきか、その瞬間は何も考えていなかった。ただ勝手に口が動 くに任せたような無責任な感情のまましゃべり始めた。まずは、今日ここに至るまでの経緯、 つまりアポイントもなしに本社に出かけて行くというでたらめな就職活動について話をし た。そういう自分の軽率な行動によって、多くの方々にご迷惑をおかけしたが、その一方で、 野村の方々にはお世話になり、助けてもらったこと、その過程で自分が感じたことや考えた ことを、ありのまま素朴に率直に訴えた。そんなつまらない学生の戯言にオジサンはさもお かしそうに聞き入り、時おり「ほー、そうか」と笑いながら頷いてくれた。そして、最後に 私はオジサンにこう言った。

「金融の自由化とか、銀行と証券の垣根の話とか、間接金融から直接金融への話とか、いろ いろ勉強できました。それについて、ここで今からしゃべれと言われればいくらでもしゃべります。ですが、思ったんです。結局もうそんなことはどうでもいいことだと。金融が自由 化しなくても、銀行と証券の垣根がなくならなくても、あるいは、ずーっと間接金融の世界 が続いても、私が野村證券で働きたいという気持ちにはまったく変わりがないんです。私が 御社で一生懸命に仕事をする。このことにはなんの影響も与えません。会社の将来が明るか ろうと暗かろうと、会社が安定していようと不安定だろうと、私は全力で仕事をします。だ から、他人に聞いたような付け焼刃の知識で、志望動機なんてものを考えている自分がアホ らしくなりました。だって部長、女性を好きになっていちいちその理由を説明しますか?た だ、好き、それで充分でしょ。野村じゃなきゃ、オレの人生が始まらないんです。そのかわ り、私を採用したことを絶対に後悔させません。死んだ気で働きます。以上です。ありがと うございました。」と椅子から立ち上がって直立不動の姿勢から深く頭を下げた。
 オジサンはニヤニヤしながら、一言「以上で演説は終わったか?」と皮肉っぽく言った。 私が「はいっ」と答えると、腕を組み直してこう切り込んできた。
「キミを採用しても後悔させないと言ったな?その根拠は一体なんだい?」
「こ、根拠・・・。そ、それは・・・それは、つまり、その、いま私が切った啖呵ですよ。 私は二十年経っても、三十年経っても、今日のことは忘れません。部長が定年で退職しても、 です。この先なにかあっても、いま私が言ったこと、私が切った啖呵、これを心にとどめて 仕事に励みます。だから、後悔させません!」
 オジサンは、「そうか、オレの定年まで心配してくれるとはありがたい話だな。」と再びガ ハハと大笑いした。そして、私を無視するように隣の高畑さんに向き直って言った。
「高畑よ、あと一人くらいいいだろ?こんなヤツがいたら楽しそうじゃないか。」
高畑さんは、うれしそうに「もちろんです。」と笑った。
 オジサンは再び私のことを鋭い目で捉えたが、次の瞬間、ニッコリと笑ってゴツゴツした 右手を差し出した。
「一緒にやろうや。」という短い言葉がオジサンの答えだった。
 私は思わずオジサンのゴツゴツした右手を必死に握りしめたが、声が詰まって言葉が出 て来ないもどかしさを感じていた。

                ※       ※       ※

 私は、入社して十五年間を野村で過ごし、その後、米国トムソンファイナンシャルからの スカウトを受け、野村を退職した。そして、トムソンファイナンシャルで七年間仕事をして 再び野村に戻り、その三年半後にまた野村を退職して、大阪市立大学に赴任した。こんな経 緯で入社したものの、結局、二度も野村を辞めたことになる。また、通算で野村にいた約十 九年間、ついに、ただの一度も株式部で働いたことはなかった。それでも、いま、もう一度 就職できるとしたらどの会社に行きたいか、と問われれば、おそらく野村證券と答えてしま う。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 
 
 
 

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