古来より「京都の着倒れ、大阪の食い倒れ」と言われる。この場合の「倒れ」は道楽による破産を意味する。すなわち、京都の人は着るものにお金をかけすぎて財産をなくすという優雅な京都人の気質を表現し、それに対して大阪の人は飲食にお金をかけすぎて財産をなくす。それほど大阪にはうまいものが多いことを表現したものなのか、飲み食いにこだわる奔放な大阪商人の気質を表したものなのか、解釈はいろいろかもしれぬ。
しかし、大阪の食べ物と言われてすぐ頭に浮かぶのは、たこ焼きやお好み焼きといった「粉もん」か、せいぜい串カツあたりであって、下関のフグとか高知のカツオとか松坂の牛肉とか広島の牡蠣とか浜松の鰻とか熊本の馬肉といった高級食材を使った料理というイメージがあまりない。つまり、京都の着物に比べると財産を散じて身上をつぶすほどの高価な食い倒れアイテムが大阪名物として即座には出てこない。「京料理」とは言うが、「大阪料理」はあまり聞いたことがない。「京料理」はそこに確かな料理としての文化があることを示している。
私は大阪生まれでもないし、大阪人歴もまだ浅く、「大阪のくいだおれ」を語るにふさわしいバックグランドを擁していないが、大阪をこよなく愛する一市民として、お叱りを覚悟の上であえて勝手な解説をしておきたい。私は「大阪のくいだおれ」を次のように理解している。
地方に行けば名物などというものはいくらでもある。札幌ラーメンもうまいし、博多ラーメンもうまいし、讃岐うどんもうまい。名古屋のひつまぶしもうまければ秋田のきりたんぽも石狩鍋も最高だった。言うだけのことあって地方の名物は確かにうまい。地方に行ってその土地の名産を食べればだいたい伊勢うどんを除いてハズレはない(私の勝手な好みです)。
しかし、大阪のすごいところは、あまり聞いたこともない阪和線というJR線の、各駅しか止まらない、しかも大阪市大がある以外ほかに何もないような杉本町という駅で降りて、駅の近くの名もない普通の独立系定食屋さんに入って、特に何も考えずに注文して出てくる何の変哲もないそのラーメンの、その唐揚げの、そのチャーハンのびっくりするくらいのハイクオリティにある。すなわち大阪はどんなところでどんなものを口にしても必ず一定レベル以上のものが出てくる。これぞ「大阪くいだおれ」の威力である、と私は解釈している。申し訳ないが、私の経験では地方都市に行くとこうはいかない。このことは私が地方出身者であるからこそわかる大阪の奥深さである。
さて、わが宮川研究室ウェブサイトでこれから展開する「宮川ゼミくいだおれガイド」はそのような大阪くいだおれ根性をガツンと見せつけてくれる「各種独立系ごはんやさん」を果敢にレポートすることになる。最近の学生、特に男子学生は食いが足りない。彼らの食欲増進、健康維持のためにも、そしてダイエット中の女子学生からの非難轟々に対しては命がけで臨む所存である。ご期待いただきたい。