P 先生のこと

 ハイ諸君、こんにちは。今日は私の大学院時代の話をしよう。私が行った大学院は、年 だったか 年だったかの実務経験がないとそもそも受験資格が得られない米国型のビジネ ススクールでありながら、一方で極めて強い研究指向を持ったところであった。実務での 問題意識を大学院に持ち込み、学生と教員が切磋琢磨しながら研究論文に仕上げて行く。学生は一流企業に勤務するビジネスマンで、いま思い出しても優秀な人々が多かったが、 何より教授陣からの要求水準には容赦がなかった。当時の私は外資系のコンサルファームにいて多忙な日々に追われていたが、いろいろなことを考え、迷った末に一大決心をして この大学院を受験した。私はここで生涯の師と仰ぐ伊藤彰敏先生と出会うことになる。当時の私の決意だけではなく、伊藤先生の存在なくして今の私はありえない。
 ただし、今日は 先生の話である。先生の担当科目は多くのビジネスマンが聴きたいと 思う分野なのだが、なにしろ厳しい。厳しいだけではなく、先生の常に人を小バカにした ような態度と傲慢で尊大な話し方は多くの学生を敬遠させた。それでも 10 名ちょっとの講 義規模だったと思う。毎回 3本の論文が配布され、翌週までに全員がレジュメをキって くる。レポーターにあたった学生は 30 分程度で報告し、コメンテーターがレポーターに対 して討論を仕掛け、後は全員で議論を行うというオーソドックスなスタイルである。この スタイルは宮川研究室の諸君にもすっかり馴染んでいることだろう。議論の要所で 先生の発言も加わり、本の論文の検討が終わると 先生がラップアップと解説を行う。
 P 先生の講義は 限と 限を通しで開講される。午後 6:20 から始まり 時が終了予定時 刻である。しかし、だいたい最初の議論で早いヒートアップを迎え、時には 時になって ようやく 本目の論文が終わるという有様だ。時を過ぎて 先生は平然と「んじゃ、次の 論文行きましょうか。」という。毎回 10 時や 11 時を過ぎるのは当たり前で、終電に間に合 わないからそろそろ終わりにしようかといって帰ることが頻繁だった。しかも、我々には 明日から会社で激務が待っている。そして、6:20 から始まった講義に途中休憩はない。さらに学生がアホな発言をすると、「あなた、ホントにマジメに論文読んできたんですか?」 とか「あなたのコメントには全く論理性が欠けていて聴くに堪えないです」などといった P先生の辛辣なコメントが容赦なく飛んでくるのである。それでも私が何度も 先生の胸グ ラを掴みそうになりながら 15 回の講義を終えることができたのは、先生の研究に対する 実直でひたむきな姿勢を尊敬していたからである。講義中に話される 先生の解説やコメ ントに、私はプロの研究者とはこういうものかと何度も感動した。そのたびに感動した P先生のコメントをノートに書き込んでいったものだ。いつの間にか私が「語録」と称する ようになったこのノートはいまだに私の研究生活において影響を与え続けている。
 このような激しい講義が毎週何本も開講されていた。会社ではシニアディレクターとい う立場にあった私は、夜になるとクライアントとのディナーに出なければならないことも 多い。宴席を終えてから講義や図書館に行ったし、酒を飲んだ帰りの電車の中でも論文を読み続けた。昼休みに一人になった時はまた論文を読む時間が取れるとほっとした。それ でも当然だが、まったく講義の準備が間に合わない。勝負は土日である。朝から晩まで論 文を読んではレジュメをキり、レジュメをキっては論文を読む。「なんだか今日は気が乗ら ないなあ」などと言っていられない。そうなったら最後もはや次週の講義には出席できな くなる。いま思い出しても胸が苦しくなるくらい二度と経験したくない大学院時代であった。実際はそれなりに楽しかったのだが、思い出と言ったら辛さばかりがよみがえる。修 士論文を書き終えた時はもうこれ以上いやだと思ったにもかかわらず博士課程に進学した。 博士課程は修士課程の 10 倍はしんどかった。
 さて話は 先生のことである。三度目の講義だったと思う。先生が講義の冒頭で学生の氏に言った。「さん、これまでの講義の感想を述べて下さい。」いかにもキレモノで常識 人といった雰囲気の 氏は滑らかなカツゼツで「非常に勉強になります。私も一生懸命論 文を読んで来るのですが、みなさんが異なる視点で議論を起こされたり、私が全く知らな かったような新しい情報を披露されるので常に価値の高い生の知識を吸収することができ ます。なるほどそういう考え方もあるなと毎回感心し、とても刺激的な講義です。」
 すると 先生は口元に独特の皮肉な苦笑いを浮かべながらこうおっしゃった。「みなさん、 講義中に発言しない人は次回から講義に参加しなくて結構です。そういう学生はドロボー だ。この 回の講義で さんは一度も発言していない。他人の議論を聞いて勉強になると 言っては持ち帰り、他人の議論に対しては何もお返しをしない。他人の考えを聞いたのな ら自分の考えを提供すべきです。発言をしない学生はこの教室に何の貢献もしていません。 そういう学生がいると非常に迷惑です。」
 Q 氏がきちんと授業料を納入しているなら「ドロボー」というのは間違っている。このあ たりが 先生の非常識なところではある。しかし、諸君はこの 先生の考えに思い当たる ことがあるだろう。日ごろ私が常に諸君に言い続けてきたことである。諸君一人一人が自 分自身の考えや洞察を教室に供給してはじめてゼミという仕組みが成り立つのである。仮 に 10 人の学生がゼミにいて、人が発言しなければ宮川ゼミのパフォーマンスは 70%に低 下する。被害を受けるのは発言した 人である。一生懸命準備して勇気を持って議論して もパフォーマンス 70%の教室で時間を過ごさねばならない。もしも発言しない 人の理由 が「こんなコト言うたらアホと思われるんちゃうやろか」というような幼稚で自分よがりな動機であるとすれば、もはや 人の努力に対する残酷な仕打ちというしかない。自分の ことしか考えない 人は学生としてはドロボー以上の重罪である。
 引っこみ思案の人もいるだろう。恥ずかしがり屋も時にはかわいい。しかし、もうあき らめてもらうしかない。自分を積極的に表現して他人に理解を求めながら諸君はチャンス をつかんでいくのだ。決して容易ではないし、努力も勇気も必要だ。ゼミではそのトレー ニングを積んでいると考えてもらいたいのだ。ひたすら強くなってもらいたい。全体のこ とを考えながらいつでも平気で自分が犠牲になれる、そういう強い覚悟を持った人間のみ が生き残ることができる世界に、諸君は 年後に飛び出して行くのである。

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