人のふり見ず我がふり直せ

 ハイ、諸君、こんにちは。今回は行列ができるラーメン屋が必ずしもうまいラーメンを作るとは限らない話をしよう。ところで、冷静に考えるに私は子供のころから何でもかんでも人と同じであることが嫌であった。社会に出てからも常に人と同じであることに不安を感じ、人と違っていることに安心感を覚えた。一方、本学の学生諸君を観察するに、周りの人がやっているから「自分もやんなきゃ」とか、周りの人がやってないから「ま、いっか」という学生が多いように感じる。人と同じであることに安心感を抱き、人と違っていることに不安を抱くことが最近の若者気質であるとしたら「喝っ!」である。「うまくは説明できないけど何だか自分は人と違う存在のような気」がするし、しかも「明確な根拠もなく無責任だが、何となくそんな気」がしてこそ青春なのである。しかし、そのような主張をしている人も実際には知らず知らずのうちに結局は周囲の目ばかりを気にして他人と同じ行動を採ってしまうものである。
 杉本町駅前にラーメン屋が新たに2軒開店したとしよう(私は個人的にもそのようなことを願っている)。ひとつは「三代目百来軒」、ひとつは「麺どころ昇羆」である。いずれも関西ではあまりポピュラーとは言えない札幌ラーメンをコンセプトとした店であり、味噌、醤油、塩という三種類の味と自家製麺をウリにしている。ランチタイムにこのような 感動的なシチュエーションを前にした場合でも、私は冷静さを失うことなく、店主の顔つきや店員の動き、椅子とテーブルの配置、看板のロゴやのれんの色、もちろん漂ってくるスープの香りとなど外からできる限りの観察を行うのが普通である。その上で慎重にどち らの店に入るかを検討するのだが、この時ばかりは腹の虫が収まらず「どちらにしようかな、神様の言う通り・・・」のギャンブルにしたがって「三代目百来軒」に入ったとする。私はいつも早めに昼食をとるため、このときどちらの店にもまだ私以外に客はいない。
 そこへ近くの建設現場で働いていた佐伯さんと古谷さんが昼休みになったため腹を空かせて2店の前にやってきた。ラーメン通の古谷さんは何となく「麺どころ昇羆」に惹かれるものがあったが、そちらには誰もいない。「三代目百来軒」では私が一人でラーメンを食べている。古谷さんは私の姿を見て何か自分では気づかない情報を私が得た上で私が「三代目百来軒」を選択したのではないかと考える。先輩格の佐伯さんはラーメン通ではないが、人が入っている方の「三代目百来軒」にしようと主張した。そうして二人は「三代目百来軒」に入る。
 次に2限の講義を終えた本学の学生である田丸君と角田君のコンビが通りかかる。百来軒に三人の客がいて昇羆には誰もいないことを確認した二人は自分たちの好みはさておいて迷わず百来軒を選ぶ。この時点で百来軒には5人の客がいて相変わらず昇羆には客が誰もいない。大学が昼休みに入ったため教務課の職員さん方数人も店の前で立ち止まるが、15席あるカウンターが3分の1客で埋まっている百来とがらんとした昇羆を比べて即座に百来に入った。これに続く他の人々はもはや百来という結論に迷うことはない。あっという間に百来の前は長蛇の行列となってしまったのである。これを関西テレビ「となりの人間国宝さん」のスタッフあたりが見た日には大変なコトになる、ということも説明は不要だろう。
 このようにして「三代目百来軒」は行列ができる話題のラーメン屋として不動の地位を 築いてしまう。しかし、もともとこの店の繁盛は私が最初に行った「どちらにしようかな・・・」 のギャンブルの結果によるものである。佐伯さんが先に来ていたら昇羆が百来に取って代わっていた可能性がある。どちらのラーメンが本当にうまいかは今となっては問題ではなくなっている。このような人間の模倣的な行動から社会科学的現象を説明する考え方をカスケード理論という。
 私だけかもしれないが、どう考えても面白くないお笑い芸人がどのテレビ局を回しても出演していたり、絶対に相応しくないと考えられる芸能人がやたらとどの番組でもヘタな司会を務めていたり、といった現象もカスケード理論から説明できるかもしれない。あの局が使った芸人だからウチも使おうなどとやっているうちにいつの間にか実力が伴わない超売れっコ芸人が出来上がってしまうのである。ラーメン屋や芸人であれば関係のない人は笑って済ますことができるが、想像を膨らませれば恐ろしいことはいくらでも起こりそうである。特に情報量や知識量が集約されない分野ではカスケード現象が起こりやすい。
世の中の現象をカスケード理論がどこまで説明できるかはまだまだわからない。しかし、情報や知識の分布を考慮すれば、やや乱暴な言い方だが、往々にして大勢の人々の選択する同一の行動が間違っていることは多いと考えられる。私はいつも諸君に、他人の行動ばかりに囚われず自分自身の目を意思決定の判断基準に置けと言っている。これは本稿のような現象を背景の一つとしていることを覚えておいていただきたい。
 なお、本稿のラーメン屋の話は、Brealey/Myers/Allen, “Corporate Finance”, McGraw Hill Higher Education; 8th Revised, 966p を参考に筆者が創作したもので実在のものではありません。 また、カスケード理論に関しては以下の文献を参考にして下さい。
Bichchandani/Hirschleifer/Welch, “Learning from the Behavior of Others: Conformity, Fads, and informational Cascades,” Journal of Economic Perspectives 12.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL