師匠の研究室

 本日は師匠の研究室を訪ね、いつものようにコーヒーを飲みながら長々と議論に付き合 っていただきました。私の師匠は一橋大学大学院の伊藤彰敏先生です。師匠はことあるごとに、「先生」と呼ぶのはやめて「さん付け」で呼んでほしいとおっしゃいます。「もう宮 川さんとは同僚ですよ。同じ研究仲間ですから。」とこともなげにおっしゃるのですが、とてもそうはいきません。年齢は私とさほど変わらない同年代でいらっしゃるものの、おそらく私がどんなに努力しても間違いなく一生この師匠の足元にすら及ぶことはありません1。 すごい人です。このように常に仰ぎ見る師匠がいることは研究者として非常に幸せなこと だと思っています。
 実は、私はもともと別のある先生に師事するために大学院に入ったのですが、その先生の研究室に応募者が殺到し、また何より私の研究計画では指導できないと断られ、茫然自 失、途方に暮れていました。実に様々な偶然が重なったのですが、研究室の応募期限がそ ろそろ締め切られる頃、失意の私の目の前にあたかも天から神が舞い降りるかのようにして忽然と現れたのが伊藤先生でした。伊藤先生は神々しい後光を放ちながら、私の箸にも 棒にもかからない研究計画書を一瞥され(おそらく最初はその出来の悪さにビビったこと とは思いますが)、「ま、何とかなるでしょ。時間はありますから大丈夫ですよ。アイデア 悪くないし。」とあっさり弟子入りを許可されました2
 10 年近いお付き合いになりますが、今でも東京に帰ると必ず師匠の研究室を訪ねるためほぼ月に一度から二度、ひどいときには週一のペースでいまだに教えを乞う間柄です。研究室では、師匠との共同研究で途方もない私のアイデアに耳を傾けていただくだけではなく、私が本学で講義している内容や資料を説明しながら、少し不安なところを補強してい ただいたり、教え方に間違いがないかなどご意見をいただいたりと無理難題をぶつけ、ま さに親離れできない状態が続いている次第です。自分でなにかを思いついた時、「この人な らどう考えるだろうか」とついついぶつけてみたくなるわけです。
 修士論文や博士論文の指導時代から同じなのですが、師匠は私のレジュメを手に私の説明を聞きながら「んー」と唸るように頷くのが癖です。今ではこの「んー」がポジティブな反応なのかネガティブな反応なのかだいたいわかるようになりました。「んー」の後に、 またうめくような声で「・・・なるほどぉー」と小さく返ってくると相当にいいという感 触です。そして「んー。・・・これは・・・おもしろい」とつぶやかれるとガッツポーズが 出そうになります。しかし、その後に師匠は「ちょっといくつかわかりにくい点があるのですが」と研究室のホワイトボードに向かって板書しながら3、まさに「的を射る」とはこういう時に使う言葉なんだなと改めて知らされるような質問が次々と投げかけられます。 それらはすべて私が心の中で少し不安に感じていたような点、やや理解が不足していたよ うな点、ちょっとごまかしてしまった点を、精巧な照準器を使用して絶対に見逃すことな くズバズバと鋭くえぐりまくりやがるわけです。それはもはや「キターッ!」という快感に近く、「さすがシショー、わかってるねー!」とうれしくなるご指摘です。
 伊藤先生は常に温和で、私のようにすぐ学生に粗略なダメ出しをすることはなく、相手 への敬意を忘れません。その性格は、何の先入観もなく、またチープな正義感やあるべき 論を振りかざすことなく、冷静かつ謙虚に現象を観察するという研究姿勢に表れています。 師匠との議論は「なぜこうなってるんですかねえ」とか「なんでこういうことが起きるん でしょうねえ」というところから出発します。私がいつも学生諸君に言っていますが、現 実に起きている現象は全てきちんとした原因があって起きています。多くの原因が絡み合 って、起こるべくして起きている結果が現象です。その現象を地道に追っていくことによ って、科学的に意味のある仮説を生み出す可能性が出てきます。思考のクオリティは、現 象をいかに正しく観察できるかという時点で明らかに差が生じます。その上でどれだけオ リジナリティのある発想ができるかが勝負です。そして仮説を構築するために「もう勘弁 してくれ」というまで徹底的に先行研究をあたり4、さらにはその仮説に隙や無理がないか 「ワタシが悪うございました」と泣くまで徹底的に議論します5。自分の頭で考えて考えて 考えぬくという徹底した演繹的プロセスを経て、検証可能な仮説が確立するまでは安易に データを作らないというのが伊藤流です。
 修士時代から、だいたい研究室に相談に伺う時は壁にぶち当たって「もうどうすりゃい いんだよー」という気持ちなのですが、研究室を出るときには必ずそれがすっかり解決し、 「なるほどー、よっしゃー」という気持ちになります。これを私は「伊藤マジック」と呼 んでいます。「宮川研究室」にも多くの学生が訪れますが、研究室をノックする時に学生が 抱いてきた疑問や不安が、研究室を出るときにはすっかり解消されて晴れやかな気持ちに 変わっているような、つまり研究室に入ってくる前と出た後で状況を変えることでができ るような、そういう研究室にしたいと思っています。
 師匠を超えることこそが恩返しだというのがどの分野でも一般的に言われるようです。 しかし、私は常に越えられない高みを見せ続けてくれる偉大な師匠を持つことに研究者と しての幸せを感じます。本日も師匠と議論をしてみて、改めて自分の勉強不足を思い知ら され、同時に師匠の偉大さを思い知りました。やっぱ、どうがんばってもこのオッサンに は勝てねえわなと爽やかな気持ちになって研究棟を後にしました。

伊藤先生については拙著『配当政策とコーポレート・ガバナンス~株主所有権の限界』(中央経済社)の 「はじめに」の謝辞にも記載されています。
実はこのときの研究計画書が伊藤先生の熱血指導のおかげで、この約10年後に『配当政策とコーポレー ト・ガバナンス~株主所有権の限界』(中央経済社)として結実するわけです。ま、「結実」というほどそん な大したもんじゃないですが。
なにげなく板書される師匠の図がこれまた「なるほどおー!」と頷いてしまうイケる図だったりする。 ちなみに、窓を背にしたデスクの前にディスカッション用の丸テーブルとホワイトボードを設置するとい う宮川研究室のレイアウトは伊藤研究室をそっくりそのままマネたものです。
すみません。正直なところそこまで私はきちんと先行研究は読み込んでいません。
この時間が研究の中で最も苦しくも最も楽しい。研究者の醍醐味です。

 

 

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