思考がドライブする?

 宮川ゼミの毎年のクリスマスパーティでは、その年にゼミ内で流行った言葉に対して「流行語大賞」を贈り、栄誉を称えることが恒例となっています。今年もいろいろなノミネート作品がささやかれる中、あるゼミ生が口走った「思考がドライブする」は大賞のかなりの有力候補になっている模様です。そのゼミ生のキャラと言葉を発したシチュエーションがあまりにもアンバランスであったことから、私を含めた全ゼミ生がヒクくらいイタかったことが失笑のネタとなってしまいました。むしろ、そのことが大賞候補に挙げられる強いインパクトを残したということかもしれません。
 さて、「思考がドライブする」という言葉は、私が時々ゼミで発してきたため学生が覚えて使ってくれたものと思います。実はこの言葉、伊丹敬之先生の『創造的論文の書き方』(有 斐閣)から私が自分なりの勝手な解釈をしてレプリケイトしているセリフです。この本はゼミでも全員が読むように推薦図書としていますので記憶にあると思います。伊丹先生が強調されているのは、正確には「思考がドライブする」ではなく「文章が論理をドライブする」ということです。つまり、「文章を書いているうちに、新しい論理を思いつく、論理の筋が見えてくる、という現象が書き手の頭の中で起きて、その結果、そうして見えてきた論理が実際の文章として書かれる」(『創造的論文の書き方』(有斐閣)本文より)と表現しています。文章を書くことではっきりとは見えてこなかった論理が見えてくるという現象は私も経験があるので非常に共感できる表現です。これを口走った学生が、もし本当にそのような境地に達しているなら大したものです。
 伊丹先生はドライブを「駆動していく。動かして行く。前へ進めていく。」と説明していますが、私はゼミでの討論をそのように捉えています。私はこれまでのビジネスシーン、例えばチーム内のディスカッションやクライアントとのミーティングでも思考がドライブし、そこから面白いアイデアが生まれた経験があります。また、私の師匠との研究室でのミーティングは常に思考がドライブする場でもありました。ゼミでの自由な討論はまさに思考のドライブを目指しています。少しわかりやすく説明しましょう。
 私が思うに(というより伊丹先生がおっしゃっていることを私なりに解釈するに)、人間は常にわかっていることや知っていることをしゃべったり書いたりしているわけではありません。そもそも何がわかっていて、何がわかっていないのか、それ自体わかっていないことがほとんどです。それ自体がわからないまましゃべり始めたり、書き始めたりするものです。しゃべりながら自分がわかっていることや本当に言いたいことを徐々につかんでいくわけです。つまり、自分が知っていることがあって、それをしゃべるという順序では なく、しゃべってみて自分が何を知っているのか、自分が何を知らないのかが判明すると いう順序になっているのです。さらにそこに他人が入り込むとますますシフトアップします。相手にぶつけて相手からの反応が確かめられ、また相手も何かをぶつけてくるというプロセスがギアをトップに入れて予想もしなかったようなアイデアを創り上げ、真実に迫って行きます。
 ゼミでの議論も同じだと諸君にはすでに思い当ることがあるはずです。最初の頃のゼミで諸君が頻繁に思った「こんなこと言うたらアホと思われるんちゃうやろか」という発想 は、「オレ、こんなこと知ってんねん」とか「あの人こんなこと知ってはるんや」といった知識の披露がゼミだと勘違いしたために起きていました。単に「知っていることをしゃべる」という順序になっていると思考はドライブしません。ゼミのディスカッションは、それをやる前とそれをやった後とで何か状況が変化しなければ意味がありません。状況を変化させるためには順序を入れ替える必要があります。
 こんなこと言うたらアホと思われるんちゃうやろかだって?みんなキミがそんなに頭い いと思ってないって。かっこつけず、明け透けな気持ちになって、なんならここで思いきり恥をかいちゃおうと考えて討論に臨みましょう。最初は「アホかいな」と思われるような発言からだいたい面白いアイデアが生まれてくるものです。

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