最近、たまには異なる分野の論文を読んでみようと手に取ったのが、スタンフォード大学のKrumboltz 教授らによる ‘Planned happenstance theory’ に関する論文でした。「計画された(Planned)」「偶然(happenstance)」という一見矛盾した概念が組み合わされたユニークなタイトルです。これは個人のキャリア形成に関する学術論文です。論文の概要を思いきり簡単に言ってしまうと、「子供の頃になりたいと思った職業に就いている人は極めて確率論的には稀であり¹、自分で満足のいくキャリアを形成した人、あるいは客観的に見て成功と言えるキャリアを持つ人のほとんどは多くの偶然が重なったことがその背景にある。その偶発的な出来事を自らのチャンスに変えていくことが実りのあるキャリア形成に 結びつくと考えれば、その偶然はすでに計画されていたものだと言える。また、その偶然を待っているだけではなく、偶発性を創り出せるような積極的な行動や周囲への働きかけを行い、起きた出来事を意図的にステップアップへとつなげることが重要だ。」と、まあ、このような話でした。日本語では「計画的偶発性理論」と訳すことができるでしょう。
私の専門である定量的実証研究の立場からすれば、いろいろツッコミたくなる論文で、 臨床心理試験に失敗したレスリーがその後どうしたとか、間違った配達をしてしまった運送屋のボブが最終的にどうなったとか、ややチープなケーススタディが次々と紹介されます。私のような極めて素直でない人間からすれば、これらのケースのどこまでが本当の話なのか、なにがエビデンスになってこういう結論に至っているのか、少しだけですが、読んでいてイラっとするくだりもあります。しかし、私にとっては自分のこれまでのキャリ アに整合的な考え方であることと、なにより就職活動の時期になると決まって私が学生諸君に言っている「自分に向いている職業など世の中にない!」というアドバイスに通じるところがあります。ただし、よくよく考えてみれば至極当たり前の話であるとも言えます。
宮川ゼミも 4 期生を迎え、3 期生は就職活動に突入しています。本学に赴任してから就職活動には特別な興味を抱いてきました。私も学生の採用の仕事に携わったことがありますし、また外資系企業にいるときは自分のチームのメンバーは契約社員に至るまですべて私自らが面接をして採用してきました。ゼミ生には面接のアドバイスなどこと細かにアドバイスをする変わった大学教員なのですが、最近の完全にマニュアル化された就職活動のプロセスには大きな疑問を感じています。どうやら「就職コンサルタント」とか「就活アド バイザー」といった不思議な肩書の人々も世の中にはいるようです。大学の就職課という素人衆も含めて、彼らの常とう句を整理すると次のようになるのではないかと思います。すなわち、まず自己分析をして自らを知る、その上で人生における大きな目標を設定し、その目標を達成するための仕事の分野を考える、そのために業界研究を行い、業種を絞り込み、自分に向いている企業を見つけ出す、と。これ、非常に間違っているという主張をこのコラムではお話したいと思います。
おそらく上記のような就職活動に関する「定説」の影響と思いますが、毎年のように学生から「自分に向いている仕事がわからなくて業種を絞り込めない」とか「自分がやりた いことがわからない」といった相談を受けます。私は決まって「自分に向いている仕事なんて世の中にあるわけないだろ。」と笑い飛ばすことにしています。私は25年間、資本市場という場に身を置く仕事をし、そして今なお資本市場に関する研究をしています。私はこの分野で仕事をしてきたことに後悔していないどころか、非常によかったと思っています。しかし、これが自分に向いていたかどうか、やりたいことだったかどうかなんていま だにわかりません。もちろん「これって自分に向いているな」と思う瞬間もあるし、「やっぱ自分にゃ向いてないかもなあ」と思う瞬間もありますが、だからどうしたという以上の意味はありません。
そもそも仕事をしたことのない学生が、仕事をする前から自分に向いている仕事かどうかなんてわかるはずがありません。しかし、「自分に向いている」とか「自分がやりたいこ と」信仰が過度に強い人は危険だなと思うことがあります。例えば、どういう理由かは別として、仮に金融の仕事が自分に向いていると考えて銀行に入ったとします。仕事というものはこれまで自分が経験したことのない知らないことばかりやらされるわけですから、 当初の想定とは異なることが起きるのは当然です。想定とは異なる壁にぶち当たるのがほ ぼ日常といえるでしょう。そういう時に「自分に向いている」と当初思っていた人は、ど うやらそれは勘違いで「自分には向いていない」と考えるようになります。金融の仕事が「自分がやりたいこと」だと信じていた人は「これってオレがやりたかったことではない」という単純な発想に走ってしまいます。そこで、「やはりものづくりだ」「自分にはものづ くりが向いているに違いない」などと考えて、安易な転職を考えるようになります。しかし、想定外の壁にぶち当たるのは製造業の仕事でもやはり同じです。再び「自分に製造業は向いていない」と発想してしまいます。極端な例ではありますが、このようにして人はジョブホッパーになっていくように思います。
必ずしもジョブホッパーが悪いわけではありませんが、キャリアを積み上げることができません。私が外資系企業にいた頃、中途採用の人の面接を何度かしましたが、積み上がらないキャリアは履歴書に表れます。転職で履歴書の欄が多くなっていても一貫したキャ リアを持っている「きれいな履歴書」と、ばらばらの仕事を転々としている「よごれた履歴書」に分かれてしまいます。いろいろなことを経験してきましたという人には「要するにあなたは一体なにができる人なのですか?」と聞きます。そのときに「いろいろな会社にいましたが、一貫して経営企画部門でのキャリアを作ってきました。したがって私のスキルは・・・」とか「自分は広報に軸足を置いたキャリアを形成してきたので、だいたいこういうことがわかっています。」と明確に答えられる人とそうでない人がいるわけです。
私は卒業生にも「まずは自分の目の前にある土地を耕せ」とアドバイスします。そこでコツンと金鉱に達した経験を持つ人と、金鉱に当たる前に早々とあきらめて他の土地に行ってしまう人とで差ができるのかもしれません。この点はやや難しいところなのですが、 早くあきらめて次の金鉱を探すべきときもあります。ただ、私の経験から言うと、毎日毎日穴を掘りながら「オレって何やってんだろう」と不安になり、それでも穴を掘り続けたのに何も結果が出ず、「ここまでやってもダメかあ~」と前が見えなくなった頃、だいたいようやくコツンときます。
Krumboltz 教授の主張とはやや異なるように見えますが、私はコツンという感覚を持ってから次のことを考えたらいいのではないかと思います。Krumboltz 教授は人生の目標など決める必要はない、自分はコレしかやりたくないという硬直的で閉鎖的に思考するのではな く、何事も前向きにとらえて実践していくうちに方向が見えてくると主張します。私は彼のように人生の目標を持っていることが悪いとは思いませんが、若いときに抱いた人生の目標が簡単に実現するほど世の中あまくはないことは確かです。むしろ、さまざまな経験や失敗を積み重ねながら、そろそろいい歳になってしまったある時にふと「ひょっとするとこれってオレが一番やりたかったことなんじゃないの?」などと思い当たる、というのがまさに私の経験です(だから必ずしもこれが正しいとは言いません)。諸君はまだ20歳そこそこです。定年まで働いたとしても、これまで生きてきた年数の倍を確実に仕事に費やすわけです。どんな失敗をしたところで取り返しはいくらでもつきますし、わずかな成功にこだわっていたら道は狭まります。人生は実に果てしないものです。
参考までに、Krumboltz教授の研究によれば、偶発的で計画的なキャリアを形成した人には5つの共通項があるとしています。第一に、なにごとにも好奇心(curiosity)を持って行動できること、第二にあきらめずに粘り強い持続性(persistence)を持っていること、その半面で第三に柔軟性(flexibility)をもって発想できること、第四に深刻にならず楽観的にものごとを解釈できること(optimism)、そして最後の5つ目は、コーポレートファイナンス理論と同じで「risk taking」することが必要だと述べています。私が言っているこ ととあまり矛盾していないかもしれません。
最近の就職活動の話を聞いていると、企業側はやたらと「やり甲斐のある仕事」や「人の役に立つ仕事」を強調し、学生もそれを聞いて過度に共感しているように感じます。こ れはとても危険です。言っておきますが、会社で働いている程度で毎日やり甲斐など感じるはずがありません。また、諸君のような若造が社会に出ていきなり人の役に立てるほど世の中は困ってもいません。仕事をしているうちに何かのきっかけで「オレも捨てたモンじゃないぞ」とか「これがやり甲斐ってモンかもなあ」と、あるときハっと自分自身で気づいたり、感じたりするものであって、他人から事前に教えてもらうものではありません。 予想もしないことが起きて、いろいろなことを考えるから人は成長していくわけです。
参考文献
Krumboltz, John D., Kathleen E. Mitchel, Al S. Levin, ‘Planned Happenstance: Constructing Unexpected Career Opportunities’, Journal of Counseling & Development, vol.77-2, pp115-124, 1999