レイバーとワークとプレイの違い

仕事におけるレイバーとワークとプレイという概念 
 経済産業省のジャーナル¹で、伊藤元重氏による「『働く』という言葉には『レイバー (Labor)』、『ワーク(Work)』、『プレイ(Play)』の 3 種類がある。」という話のくだりを見つけました。彼は「産業革命による機械の発達で、人は過酷な肉体労働であるレイバーから解放され、機械を操作するワークを得た。」と解説した上で「しかし、大切なのは、機械や情報システムに置き換わってしまうようなワークではなく、人間にしかできない質の高いプレイヤーとしての仕事が増えていくように努力することではないか。」と主張していました。また、楠木建氏の著書は²、レイバーは「ガレー船の底で櫓を漕いだり、ピラミッドの石を運ぶという類の労役」であって「強制されてやる奴隷の仕事」とされ、ワークは「組織に属してそれぞれ決められた仕事をする」こと、しかし、「イチローは野球選手としての仕事をしているが、彼を『ワーカー』と呼ぶ人はいない。いうまでもなく『プレイヤー』だ」 としています。
 レイバーとワークの間には産業革命の影響といった歴史的にも大きな隔たりがあるのですが³、私はむしろワークとプレイの間の隔たりの方がずっと大きいと考えています。私流に言えば、レイバーとワークの違いは人間が機械を使うか肉体を使うかという違いで、いずれにしても組織に属して人から与えられた仕事を指示通りにこなす、といった感覚です。それに対してプレイヤーは他人から命じられて仕事をやらされるのではなく、自分で面白がって仕事をしている人々のことで、考え方や精神の持ち方、あるいは人生観において、ワーカーとは大きく異なります。また、組織に属しているかどうかは関係なく、組織に属していてもワーカーとプレイヤーは分かれるし、個人事業主や研究者にもワーカーはいます。ただし、果てしない隔たりがあるものの、その違いは外形的には単純な区別がつきにくく、その人の精神や仕事の姿勢やアウトプットによって「ひょっとしてこの人、プレイヤーじゃん?」 と、わかる人にはわかるという微妙な区別となっています。

レイバーとプレイヤの違い
 ここでは、語呂がいいのでプレイヤーとレイバーという2種類の名前をつけて対比しましょう(workerに対しては本来laborではなくlaborerですが、この二つには差がないとい う前提でまとめて語呂がいいのでレイバーとします)。レイバーは、人から与えられた仕事を人の指示にしたがって忠実に行う人々ですが、プレイヤーはたとえきっかけは与えられ た仕事だとしても自分で考えて自分で完結させたいと思う人々です。レイバーはやらなければならないという義務感で仕事をしますが、プレイヤーはただ面白がって仕事をする人で、内発的な動機に基づいて自分勝手に動きまくります。レイバーは組織の肩書に依存して仕事をし、プレイヤーは組織の肩書に執着しません。肩書は自分の仕事をするために利用するものだと思っているのがプレイヤーです。レイバーは自分の仕事の評価を第三者に委ねますが、プレイヤーは自分の仕事は自分自身で評価します。たとえば、会社に大きな利益をもたらして人事上の評価が高かった仕事でもプレイヤーは自分で納得できない仕事には厳しい評価を下します。逆に会社にとってあまり大きくない仕事であったとしても、その仕事によって自分で得たものが大きかったと感じればプレイヤーは満足します。レイバーは仕事の締め切り前にちゃちゃっとこなしてうまくごまかせた手際の良さを仕事の自慢にしますが、プレイヤーは面白い仕事だと思えば必要以上に時間をかけてじっくり自分のものにしようとします。レイバーの仕事は「早くたくさんやる」ことが目的ですが、プレイヤーの仕事は「深まったり、広がったり」します。
 出席をとる講義だから出席しなきゃと発想する学生はレイバーで、面白い講義だから出席しようと考える学生はプレイヤー、試験前に一夜漬けして要領よく単位を取る学生はレ イバーで、試験に出ないところでも興味があるからといってのんきに本を読んでいる学生はプレイヤーです。私の見るところ本学の学生はほぼレイバーです。まー若いときはそんなモンかな。諸君が高校まで受けてきた教育制度というものはレイバーを養成する仕組みかもしれません。そもそもプレイヤーは人から教えられてそうなるものではありません。仕事をして何年か経ったあたりで、実は昔から体の奥底に密かに宿っていたプレイヤー魂がバキバキと音を立てながら頭をもたげてきます。ただ、学生を見ていると潜在的にもレイバー野郎がどんどん増殖している恐怖を最近は感じています。
 言っておきますが、「目指せ、プレイヤー!」などというつもりは毛頭ありません。プレイヤーばかりの集団は想像するだけでウザい感じがします。また、プレイヤーが会社で出世するとは限りません。むしろレイバーの方が昇進には向いているかもしれません。さらに、プレイヤーが幸せでレイバーが不幸せであるとも限りません。

希少性が高くて代替性が低いプレイヤーの仕事感
 ちなみに私は昔から典型的なプレイヤーです。ところで、プレイヤーもレイバーと同じようにさまざまなストレスを感じます。ただしストレスの質が違います。何となくプレイヤーはストレスなく、常に生き生きと仕事をし、レイバーは常に鬱屈したストレスを集団になって新橋の飲み屋で発散し、挙句の果てに駅前でニュースステーションのインタビューを赤ら顔で受けてしまう、という印象をもたれるかもしれませんが、そうではありません⁴。
 レイバーはモノゴトを深く考えさえしなければストレスから解放されるかもしれません が、プレイヤーは実は意外と深刻にストレスフルです。それはプレイヤーのやりたい仕事が時としてマーケットの需要と供給にマッチしないからです。自分が面白いと思うから仕事をしているのがプレイヤーですから、言ってみればこれは自分のために仕事をしているに過ぎないということです。もちろんプレイヤーの仕事こそ人の役に立つし、世の中に貢献するのですが、わかりやすく言うと、企業が目指しているように、なるべくかける費用を最小化し、稼げる利益を最大化することが必ずしもプレイヤーの目的ではありません。ここだと思えば目一杯ぜいたくに費用をかけないと自分で納得する仕事はできないし、時には利益を無視して他人に貢献することで満足するのがプレイヤーです。ときどきではありますが、プレイヤーは「プロダクト」と「アート」の区別がつかなくなってしまいます。だから、レイバーは仕事を選びませんが、プレイヤーには仕事を選ぶという悪いクセがあります。自分を高める仕事や自分を高める相手との仕事を好むのがプレイヤーです。
 しかし、そんなことばかりやっていては特にビジネスの世界では生きていけません。どのようにして世の中の需給に自分の仕事の折り合いをつけていくかがプレイヤーにとって最大のストレスとなります。たとえば、私がビジネスマンだった頃、クライアントの依頼に対 しては相手から「ここまでやるんですか!」と言われるくらいのものを提供して「どんなもんだい」と相手をびっくりさせることで気持ちがハイになりました⁵。一方、私が属してい た組織はそんな仕事の達成感で自由に突っ走ってもらうことではなく、もっと効率を追求する必要があります(で、だいたいケンカばかりすることになります)。私の感じる仕事の達成感は、長期的には組織の目的と一致するかもしれませんが、そのときそのときで短期的にある程度うまく折り合っていかなければ仕事を続けることができなくなります。
 何が正しくて、何が間違っているか、レイバーは自分の組織の価値観に従いますが、プレイヤーは自分自身の価値観に問い続けます。プレイヤーばかりだとウザい組織ですが、レイ バーばかりだとコワい組織です。プレイヤーの私にとって仕事とは、自分の先天的な能力や個人的な努力によって得た経験や知識、つまり自分固有の知的資産を発揮して行われなければならないと思っています。たとえ組織内で行われた仕事でも、A さんの仕事を見たとき、どこかに「A さんらしい仕事だなあ」とか「この仕事はAさんがやったに違いない」と識別できるような個性が仕事に生き生きと表現されているべきだと思っています。「この仕事ができるのはAさんしかいない」と人から言われるような、希少性が高くて代替性が低いシ ゴト人であることが、昔も今も私の目指すところです。

¹ 『経済産業省ジャーナル』(経済産業省)vol.24、2012 年 8・9 月号
² 楠木建『戦略読書日記』(プレイジデント社)107-108頁
³ 産業革命によって機械が労働力にとって代わることを恐れた多くの労働者は機械の破壊運動を起こしま した(1810 年代に英国で起きたラッダイト運動など)。
⁴ レイバーとプレイヤーの違いを聞いてマクレガーの X 理論と Y 理論を連想する人がいるかもしれませ ん。確かに似ていますが、やや異なるのはモチベーションの問題とは観点が違うということと、プレイヤ ーが抱くストレスに着目したところです。
⁵ これは実際、私がビジネスの世界にいた頃、自分のチームの人々に常に言っていたことです。仕事を請 けたなら、クライアントが思ってもみなかったほどの水準で期待を上回る出来栄えを提供する、「ここま でやりますか」と言わせるレベルにこだわらなければなりません。相手がそう言ったら、どんなに苦労し た仕事でも涼しい顔をして平然と「ええ、当然ですよ。われわれプロですから。」と言い返すわけです。 実は、私が若い頃にこれがカッコイイ仕事のやり方だと教えてくれた人がいました。

 

 

レイバーとワークとプレイの違い への1件のコメント

  1. 土持成伍

    もう35年前に体験した元ソニー厚木工場の工場長だった小林茂氏のチームマネジメントと同じです。これによって社員満足とお客様満足が向上し業績も同時に向上しました。いかに社員満足がカギになるかを体験した貴重なもので、私の現在のベースになっています。忘れていたことを思い出すことができました。有り難うございました。

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